、もつと華やかに、けばけばしく、アクセントをつけろと云ふのでもない。そんなことは、多くの人気俳優が悉く心得てゐる。僕の言はうとするところは、もうわかつてゐる人もあるだらうが、言葉を換へて云へば、見物に無駄な努力を強ひるなといふことである。見物にもつと寛ろいだ気分を与へよといふことである。
かういふ注文は幾分趣味から来るのであらうが、今日の新劇の舞台は、一般に、必要以上暗く、必要以上固く、必要以上力み返つてゐるやうに思はれる。
例へば翻訳劇を日本の舞台で観たものが、一度西洋に行つて、同じ脚本を向うの舞台で観ると、等しく、それが全く別物であるやうな感銘を受けるだらう。どういふ点でさうかと云へば、日本では、概して、普通の人物を厳めしく、愉快な人物を真面目に、くだけた人物を勿体らしく演じる傾向があるからである。甚だしきは、喜劇的人物を、悲劇的に演じることさへあるのである。同様に、舞台の色調も、暗く、渋く、重く、理づめに施されてゐる。
いつか築地小劇場でやつた「空気饅頭」のやうなものでも、あれは喜劇であるが、露西亜でなら、もつともつと「喜劇的」な調子を高めて演じるに違ひない。日本では、それ
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