てますね」
「みなさん、お変りは……」
「ええ別に……。ところで、奥さんがどつかお悪いつていふぢやありませんか」
「なあに、大したことはないんです。脚気だと云ふんですが、何しろ、あの気性でせう、無理をするんです、少しいいと」
「無理をね……。脚気か……こいつ」
 前と同じ場面、同じ人物である。云つてゐることも違はない。文句を少し変へただけである。
 それだけで、既に多少「月並」でなくなつてゐると思ふ。会話が生きてゐる。より「劇的対話」になつてゐる。舞台の言葉になつてゐる。この二つの面の優劣は、さほど格段の差に於て示されてゐないことは勿論であるが、少しでもそれが認められれば、それでいい。
 この相違は、優劣はどこから来るか。前の方は、言葉そのものの印象《イメエジ》がぼんやりしてゐる。言ひ換へれば、大抵の人間が、大抵の場合に、殆《ほとん》ど無意識にさへ口にする言葉使ひである。従つて心理の陰影が稀薄である。特殊な人物の、特殊な気持が、はつきりつかめない。つかめても、それに興味がもてない。つまり、お座なりといふ感じが退屈を誘ふ。機械的といふ感じが、韻律の快さと反対なものを与へる。感情の飛躍がな
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