あるのである。そして、今日、新劇の指導者らは独断的なプリンシプルによつて俳優の演技を束縛することが不可能になつてをり、俳優養成に名を藉りて、偏狭なある一つの型を作り上げることを許されない筈である。少くとも、さういふ態度は、芸術的に失敗を意味するやうになつてゐる。
 ここで、俳優養成の仕事は、同時に、舞台上の人材発見の仕事と結び付かなくてはならない。「伸び得るものを、その伸び得る方向に伸ばす」ことこそ、今日、新劇の指導者を以て任ずるものの取るべき態度であらう。この仕事は、恐らく、短期間にその成果を収め得られないかもわからない。しかし、さういふ仕事を絶えず続けて行くものがあつてもいい。
 新劇協会は、興行的に如何なる失敗を重ねても、「ある俳優をして、その進むべき道を見出さしめる」機会を成るべく多く与へることで満足しなくてはならない。この意味で、新劇協会の舞台は、凡ゆる前途ある俳優の道場であり、展覧会であり、登竜門である。
 新劇協会はまた、若干の俳優志望者に舞台的教育を授けつつあるのであるが、これまた所謂教育の効果を過信して、徒らに若き人々の前途を誤らせることはしないつもりである。故にこの
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