にも、レストオランの空気にも、劇場や公園の設備にも、裏町の暗い軒下にも、縁日の雑沓の中にも、その民族の特性と時代の意味とをそれぞれに反映した都市生活者の歴史と鋭敏な感性がひらめいてゐることである。
 学校都市には学校都市の、軍事都市には軍事都市の、また工場都市には工場都市の風格と色彩があり、それはそれなりに、都市らしく繁華でも、整然としてゐなければならぬ。新開地の興味は、粗製濫造の模擬都市であるところから発するのであつて、その安手なといふ印象は、特に金をかけないからではなく、都市建設の文化的能力を欠いだ手合によつて次ぎ次ぎに偽物が積み重ねられて行くからである。東京で恐らく最も巨額の資金を投じたと思はれる某大料理店の、顔を蔽ひたくなるやうな卑俗さを嗤ふものは嗤つてゐるが、しかもなほかつ、これが東京での名物のひとつとなりすますのである。田舎の親類をおつたまげさせるだけならまだいゝが、近頃の東京人は、憚るところなく次代の若者をこゝへ連れ込んで競つて飲み食ひさせてゐるのである。都市美低下の極めて重大な症状である。
 ところで、この種の症状は、今や、流行病の如く、全国に蔓延しつゝある。最近どこでも目につく一流と称する新築旅館の部屋部屋の凝つては思案にあまる滑稽な業々しさ、材料と手間と愚劣な技術の濫費、これこそ、都会のならず者と田舎の蓮葉娘との図々しい野合である。
 私はかゝる風潮の一般国民に与へる影響を大きく見積る。うかうかと贅沢の自己満足にひつかゝるばかりではない。これに慣れることによつて、ほんたうに壮麗なものがわからなくなり、高い文化の与へる人間生活の深い快適な味ひさへも見失つてしまふからである。
 特に、時節がら、一挙両損といふべきこの不健全な都会的偽態を撲滅しなければならぬ。奢侈禁止令は、屋外のみをさ迷つてゐる時機ではない。

       四

 都会はまた知識層の働き場所としての特色をもつ。農山漁村にも、個人としては高等教育を受けた人もゐるであらう。しかし、大都会になればなるほど知識人の集団としての職場があり、それは都市の最も中枢的な生活面に反映する筈である。レストオランのムニユーが横文字で書かれてあるといふやうなことだけではない。試みに三大都市の住民の学校程度の比例をとつてみると面白いが、これは誰も正確に数字を云ひあてることはできない。仮に学生を含めて専門学校以
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