冷酷さが養はれて行くのである。当局は速かに、市民と協力してこれが整理方法を考究してほしい。実は大して頭のいる仕事ではないのである。寧ろ、この惨状を見るに忍びないといふ神経のあるなしによつて解決される問題である。一例を挙げれば西洋のある都市で既にやつてゐる番号札制度を採用すれば簡単であらう。
 更に、円タクの運転免許は、兵役をすましたものに限りこれを渡すといふ規定を当分実行すること。少くとも、歩調を揃へることのできない青年に、この危険な職業を委してはおけないのである。
 もうひとつ、都会の隅々から人力車なるものを一掃したい。それによる失業者をどうすることもできなければ、せめて、新しく免許しないことにしてほしい。仏領印度支那の苦力でさへ、近頃はリヤカー式の後押し洋車を「操縦」しはじめてゐるのである。この人力車なるものゝ発明は、抑も東洋の西洋人による植民時代に端を発し、今なほ、極東のエキゾチスムとして白色観光者の間に喧伝されてゐるが、かゝる事情は別として、第一に、人間の労働姿態としても、乗客たる人間との関係に於て甚だグロテスクなものである。最近自動車の払底に乗じて、またまた各所にその数を増した、この居留地撤廃以前の乗物を一日も早く絶滅させたいのは、東亜の盟主たる日本国民の痛切な願ひである。

       三

 私も勧められるまゝにその会員の一人となつてゐるが、実はその事実の成果について迂闊ながらなにも知らぬ、都市美協会なるものがある。たしか半官半民の堂々たる研究諮問機関のやうに聞いてゐる。「都市美」といふ雑誌も発行してゐて、口絵には、建築や公園の「芸術写真」のやうなものがよく出てゐる。車道の石の敷き方にはどんなのがあるかといふやうな例や、醜い看板が並んでゐる不体裁な街頭の例などものつてゐた。
 都市文化の一面は、たしかに、都市美のうちにも窺はれるものである。ところが、都市美に於てすぐれた大都市が、必ずしも、近代都市として好ましい文化をもつてゐるとは限らぬ。巴里や北京を想ひ出すまでもなく、われわれはもはや、この国土にさういふものを求めてゐるのではない。
 都市美の本来の理想は、その建設者と、現住者との一貫した美の理念の発揚にあるのである。それは、個々の建築にも、一連の住宅のたゝずまひにも、街路樹の風情にも、道行く人々の衣裳の好みにも、商店の窓飾りにも、ポスタアにも、看板
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