ものは、道路と建築である。最近におけるわが国の都市の膨脹はまつたくその企画性を無視したものである。これを一朝にして改めることは不可能であるけれども、今からでも決して遅くはないのである。速かに全国の都市を、統制ある機関の手によつて、合理的に、審美的に、そして、特に風土的条件に従つて、発展性ある再建設計画の下におくべきである。この計画はすぐに着手しなくてもいゝ。たゞ、自然膨脹を防ぐ指導案として、各監督官庁にその実行を委しておけばよい。この計画は、単に膨脹面を規定するばかりでなく、主要街路の建築表面の様式をある程度統一する。
次に、区画整理を断行する。一つの街路は一つの名称を必ずもち、番地はそれぞれの街路のそれぞれの家屋に一定方向から順序に附せられることを原則とする。尋ねにくい人の家といふものがなくなることは、国民協同親和のためにも甚だ好ましい結果を生む。「ずいぶん捜したよ」とか、時には、「いくら捜してもわからなかつた」といふ挨拶を、われひと共にそれほど苦にしない現状が、おそらく、われわれの社交生活を知らず識らず索漠たるものにしてゐることは大きい。
人に遊びに来いと云へば、いちいち名刺の裏へ道順を書かねばならぬ。この手間と不細工とを、もう誰もなんとも感じなくなつてゐるのであらうか。私の住ひは東京新市域のはづれである。比較的区画整理もできた場所であるけれども、公の町名だけでは、殆ど見当がつかず、二時間も捜して歩いたといふ訪問客もあつた。日本人には膨れつ面をしてゐるものが多いと、よく西洋の女などが云ふ。これで膨れつ面にならなかつたらどうかしてゐるのである。膨れつ面は、怒るにも怒れぬところから出来るのである。だから、私は、市役所に代つていつも詫びを云ふことにしてゐる。ところが、さういふ場所を択んで住ひを求める人間がゐるからわるいとも云ひ得るといふことを、近頃つくづく感じるやうになつた。云ひかへると、国民の為政者への協力が、足りなかつたのである。
さてその次に、都市の交通機関について一言する。ほかの都会のことはよく知らぬけれども、東京では、人口と面積に比して交通機関がまだ未発達であり、従つて、混み合ふ時の混み合ひ方は言語に絶してゐる。これも屡々市民の不徳として問題にされるけれども、それを調節する方法が考へられてゐるかどうか、東京市民の気質が年々兇悪になり、同胞を同胞と思はぬ
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