都市文化の危機
岸田國士

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       一

 都市は元来、その規模の大小にかゝはらず、政治、経済の中央集権的な機構が作りだした、高度技術生活の凝結体である。
 従つて、都市を形作る要素は、それ自体技術文化と緊密に結びついてゐるのだから、民族として発展した基本社会のうちにあつて、おのづから、頭脳的な地位を占めるものである。
 こゝから、首府が地方に対し、都邑が農山漁村などに対して、支配的となり、指導的となり、強圧的となり、搾取的となることがある。都市自体の、近代主義的な優位には、かういふ人為的或は堕性的な傾向がみられる一方、都会人と所謂「田舎の人」との間には、複雑な対立感情が発生したのである。
 こゝで詳しくこの問題にふれることを避けるが、要するに、「文化」といふ言葉の広い意味に於ては、一民族の協同体としての等質文化のほかに、都市は都市としての文化様相を備へ、田舎は田舎としての文化様相を保ち、その何れも、各々の生活表現を豊かに健かに示す限り、互に相侵さず、羨まず、軽んぜず、寧ろ、独自の面貌を誇りつゝ、時に他を慰め、鼓舞し、酔はすことこそが望ましいのである。
 都市文化は、それが技術的に高度なるが故に尊くはない。地方文化は、それが「自然」に護られてゐるのみで愛すべきものとはならぬ。
 近代都市の文化的危機は、それが技術的には高度であつても、「永久的なもの」の欠如、つまり、歴史的なものゝ消滅と雑居的な勢力の横行に原因する。
 一方、都市文化は、「物質的なもの」を多く含んではゐるけれども、それは単に外観であつて、都市には都市の極めて重要な精神があり、都会人は必ずしも「物質的」だとは云へない。たゞ、「物質」に対する観念が、都市と田舎とでは甚だ相違するのである。都会人は、「物」を使用する側から見る。田舎の人は、「物」を作る側、獲る側から見るのである。
 ただ、都会人は、生活をも技術的に考へる傾向があり、「物を使用する」ことに、より多くの興味と欲望を感じ、遂に生産の労苦を忘れて消費の快楽を追ふ結果となる。
 しかしながら、都会人は、あらゆる刺激によつて、心理的に鋭くされ、それが病的にまでなつてゐるものもあるが、また、その鋭
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