たといふジェスチュアがなく、よほどのきつかけがなければ同席しても話をせず、話をしても大ていはすぐに話題が尽き、その点で自信があると、少し独りで喋りすぎ、相手はそれをなかなか辛抱しないのである。かういふ国民的性格は、実に、われわれの現代の社交形式が、何ものかの媒介なしには保ち得られぬといふ弱点につながるのである。そしてそれは同時に、群集の一人として、そこにはやはり「社会」があることを忘れさせ、その「社会」を互により住みよくする可能性を放擲させるのである。
 かゝる性格はまた、不意に同じ場所に落ち合つた他人同士の、その時に必要な協力をも妨げる場合が多い。これらの例だけでも、かう観ていくと、社会のため、ひいては国家のため、どれだけの損失を積み重ねてゐるかゞわかると思ふのである。国民総力の結合が叫ばれてゐる際、われわれの力はたゞ機械的に結合されるだけでは十分と云ひ難い。一人一人の力が、精神が、いつ如何なる場合と雖も、立ちどころにぴつたりと結びつくことが望ましい。祖国のためにと云へば、なにびとも、誰とでも手を握るであらうといふ信念は、市民としての日常生活のなかでは、さうはつきりと人には見えぬ。そのはつきりとは見えない、なんの気なしの仕事のなかに、真の国民の協力が大きな結果として期待されるのである。

       八

 最後に、都市生活の一つの特色は、そのなかに、学生生活を含んでゐるといふことであらう。
 これは、もう、批判の時期ではないから、対策だけを簡単に述べる。
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一、そのへんで眼につく如何はしいバラツク建ての校舎を取毀し、先づ学園としての威容を整へること。
二、教室を各級各組の専用とし、僅かの経費を惜んで、不潔乱雑な場所で、神聖な学問を学ばしめないこと。
三、中学以上は必ず寄宿舎を設け、従来のやうな監督法でなく、また従来のやうな賄制度でない、新鮮溌剌たる青年の気分に適した、もつと温かみと空想に富んだ、知らず識らず秩序の悦びを味ひ得るやうな協同生活を実行せしめること。
四、この寄宿舎には、なるべく、教師が交替で学生と寝食を共にし、所謂自由主義的な甘さを克服した人生修業の先達に任じること。四十歳以上の教師は特別の志望者のみに限る。但し、最初は、相当ごたごたするかも知れぬ。やつてみればこれは案外教師にも歓迎される制度だらう。
五、
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