危機は、都市そのものに対する為政者の認識と、都市住民の生活意欲の、混乱、誤謬にあると私は思ふ。云ひ換へれば、こゝにも確乎たる理想がないのである。たまたま理想を懐くものがあつても、それを追求する情熱と、これを支持する集団の力がないのである。
 都市居住者の時局への積極的関心が足りないやうに云はれてゐるのは、必ずしも、彼等が一人一人国民としての自覚が足りないためではなく、主として都市そのものゝ無目標的存在に知らず識らず生活を托してゐるところに原因があるのだと思ふ。
 都市生活者の共通の目標を先づ明らかにする必要がある。市会にはもつと文化的な空気を注入すべし。町会なるものゝ機能をできるだけ活溌にすべし。市民としての訓練がやがて国民として役立つといふ信念を高く掲げるべし。
 都市の粛清工作は警察の手にのみ委すべきではない。殊に風紀上の些末な醜悪面を洗ひ立てたり、追ひまくつたりすることは、労して効なきものと私は思ふ。複雑微妙な都市生活の裏面では、人間が社会から離脱して、羞恥なき行為も行はれるであらう。さういふものがひよつこり街頭の明るみに姿を現はしても、そんなに驚くことはない。かういふものゝ善良な市民の上に及ぼす影響力はそれこそ知れたものである。
 それよりも、やはり私は、待合とか遊廓とかいふものを一掃したい。特に、それらのものゝ在り方を現在のまゝ続けさせるといふことは、日本の都市の性格をいつまでも封建的なものから脱せしめないことになる。悪所通ひを風流とし、社交の具とするある種の観念を、われわれの頭から、即刻排除しなければならぬ。これは道徳上の問題ではなくて、まつたく趣味上の問題なのである。しかも、それがどんなに悪趣味であるかといふことすら、われわれ自身の意識の上では感じられなくなつてゐるのである。
 そこで、お互の社交の形式について、考へなければならぬ問題が提出される。
 都会人、特に男性間の交際は、多くは家庭外に於て行はれるが、かゝる要求に応ずる施設が、即ち単純なクラブを除けば、すべて女性のサーヴィスを附きものとする飲食店である。
 多くの主婦のうちには、それが結局面倒でなくてよいとするものもあるやうである。主人も亦細君を労るつもりで、よそへ人をよぶといふ場合もあるだらう。ものゝ因果関係はなかなか断定を下しかねることがあつて、この風習は、男が求めて作つたか、女の仕向け方に
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