―なるほど、「文学を愛する事」を愛する奴のなかには、おれの判断によると、田巻がコーヒーを好むといふやうに、一種の現代的迷信乃至は流行心理に囚はれ、単純な見栄と自己陶酔を含む、もつともユウモラスな稚気の持主もあるにはあるが、彼の場合は、必ずしも、さうとばかりはいへないよ。
――なに、それだけさ。その証拠に、あいつの書くものは、こと/″\く、自分が如何に主義のために献身的であり、文学のために忠実であるかを吹聴したものばかりぢやないか。あんな作品は、自家広告以外、何の役に立つと思ふ?
――自家広告とはいへないさ。さういふ邪念はないよ。
――そんなら、自己紹介でもいい。「おれはかういふものだ」といふことを書くだけなら、昔から、自然主義の亜流がやつて来たことだ。もつと謙そんな態度でやつて来たことだ。
――謙そんでもなからう。
――兎に角あの男を、さういふ風に見るのは勝手だが、あゝいふ傾向の文学を文学と呼ぶ以上、あれはやつぱり、一種の理想主義的文学と見るべきだらう。
――いや、おれがいひたいのは、そんなイズムについてぢやないんだ。あの男についてなんだ。人間としての田巻安里は、今日の文学
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