ツトを刊行し、原稿用紙に姓名を刷り込ませ、文学故に親戚と義絶するに至つたと心得、「牛肉が硬い」といふ時、「人生は憂うつ[#「うつ」に傍点]なり」の表情を浮べるのである。
二
たゞ、彼は、文学者であることを鼻にかけるほど文学のわからない男ではない。まして、名利を目的に文筆の道を志すほど徹底的現実主義者でもない。彼は、心底から文学を愛し、「文学のために死ねば本望だ」と考へ、文学とコーヒー以外に快楽の街を求めようとしない男である。それ故、彼の生活は豊かでなく、それをまた苦にもせず、ひけらかしもしない。その点、友人たちは挙つて感歎の声を漏らしてゐる。
この田巻安里は、好んでいはゆる「私小説」を書くのであるが、それも、かの既に今日では流行おくれと称せられる「心境小説」の型に属するものではなく、熱烈な意気と、奔放な筆致とをもつて、一つの理想主義的内容を盛ることに努力してゐる。
そこで、友人の一人は、独特の懐疑的微笑を浮べて彼に問ふのである。
――おい、田巻、君は、君の主義のために文学を棄てなければならない時、一体、どうするんだ?
――主義のために文学を棄てる? そんなこ
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