を平気で伝へて、それに対する自国民の批判が織り込んであるといふ風なのは、誰が見ても、その国民を軽蔑する気にはならぬのである。軍隊の戯画化や、社交界の暴露や、学校教師への諷刺やさういふことが盛んに行はれてゐる。最近のフランス映画でも「沐浴《ゆあみ》」の如きは、陸軍将校の私生活を極度にだらしなく描いて、仏蘭西《フランス》軍隊はさんざんのやうに見えるが、別にそのために独逸《ドイツ》人は仏蘭西を恐れなくなるわけではないことを知つてをり、フランス当局も亦、これは国辱映画だなどゝ輸出禁止をするやうなこともしないのである。つまり、フランスは、モオパツサンを生んだことで十分得意なのである。そして、あの映画が「芸術的」に真実を伝へ得たら、それで、国威を発揚したことになると信じてゐるのである。
映画が一国の「宣伝」になるといふ意味を、もつと広く考へてみなければならぬ。独逸《ドイツ》などは目下特別の事情にあるから問題にならぬが、それさへ、材料の優秀さによつて、露骨に形式的統制をカムフラジユし得てゐる。ナチスの党旗はなるべく出さぬやうにし、ヒツトラアさへも、俳優に劣らぬ「演技」をもつてゐるのである。こゝが
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