裏も表もないといふ生活は、甚だ見事である。日記の第一頁に――一月一日、今日は正月元旦である。昨夜降り積つた雪が、今朝もまだ真白に残つてゐる。東天に向つて初日の出を拝す。心気爽かにして、一年の計ここに成る、と書かれてゐる。次を読むと、――家族五人打揃つて雑煮を祝ふ。母上は七十歳の皺も晴れやかに、妻は三十五歳の丸髷、緑滴らんばかりである。初男は十一歳の春を迎へてますます父たる余の面影を髣髴せしめ、次子は八歳の学齢に達して、妻に劣らぬ悧溌さを示して来た。嗚呼、この幸福、ただ、欠くるは余四十一にして、未だ一銭の貯へなきのみ、とある。
趣味で日記をつけてゐるといへばそれまでだが、かういふ種類の日記は、早く死んで、早く人に読ませると功徳になる。細君には、無論、生前見せてゐることであらう。
私はまた、ひねくれた精神をも愛する。裏表があるわけではないのに、裏表があるやうに見える人物の心の動きは、甚だ微妙である。ジュウル・ルナアルとは、少年「にんじん」の本名であるから、御存じの方もあると思ふが、彼の生れながらともいふべき孤独さは、長ずるに及んで、幾多の激しい作品を生んだが、その日記は、就中平然とは読
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