日記について
岸田國士
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)堕《おろ》して
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私は日記をつけない。なぜつけないかと訊かれると、返事に困るが、どうもつける気がしない。それでも今までに、つけてゐたらよかつたと思ふことは思ふ。すると、結局、私の中に、日記をつけたくてもつけさせない何ものかがあるのか、または、つけないではゐさせないやうな何ものかが欠けてゐるのであらう。
面白い日記をつけるやうな人物は、みんな一とかどの人物だとも考へられるが、一とかどの人物でなくとも、およそ人の日記といふものは、誰しも好奇心を引かれるものである。世間に発表するつもりで書いた日記と、さうでない、ただ自分のために書いた日記とは、その意味での興味がまるで違ふが、もちろん日記としての特色は、公然人に云へないやうなことが、率直に誌されてゐる点にあるので、秘密といふほどではなくても、そこでは人間が、裸でゐるといふ風なものほど、読むものにとつては有難いのである。
西洋には、よく、「おれの日記は、死後何十
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