今日行はるゝ文芸批評の多くは世人をして「文学とはかくもつまらざるものか」と思はせる以外に何の役にも立たない。
 批評家は、先づ「文学を愛すること」を教へてくれるべきである。

 のみならず、さういふ批評を読んでゐると「文学者とはかくも軽蔑すべき人間か」と思ふに至るであらう。なぜなら、批評家は作家を競馬々の如く取扱ひ、批評家自身は、己れを文明の埓外に投げ出してゐる。

 諸君は三河万歳といふものを御存じですか。烏帽子を被つた男と大黒帽を被つた男が、一方は扇子を持ち一方は鼓を鳴らし、所謂万歳歌を唱ひながら松の内の門毎を陽気に訪れて歩きます。
 烏帽子の男を太夫と呼ぶんでしたかね。大黒帽はたしか才蔵と云ふんです。
 太夫は歌の拍子を取るやうに、時々才蔵の頭を扇子で叩く。叩かれた才蔵は、お道化た顔をしてなほも唱ひ続けます。あれではさぞ痛からうと思ふほど音がすることがある。才蔵は変な格好をして太夫を見上げる。それでもにやにや笑つてゐます。
 僕は、批評するものと、批評されるものとの立場が、この三河万歳の如くであることを痛感して、いさゝか暗い気持ちになるのです。
 擲る方もいゝ気なら、擲られる
前へ 次へ
全6ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング