ある間は、断じて近代劇の舞台に「芸術的生命」を与へることはできず、公衆も亦「舞台に何を求むべきか」を知る前に、実人生の中に新しい戯曲を感じることができなければ、近代劇に対する批評者、鑑賞者であることは絶対に不可能である。
新しい生活様式、つまり現代日本人の生活中から、動性《でなみすむ》と心理とを通じて、詩と造形《ぷらすていく》美を感じ得るに至つて、始めて、われ/\は、「われ/\の演劇」を有ち得るであらう。
諸君は如何に日常生活に於て、型に嵌つた考へ方をしてゐるか。感情のニュアンスを無視した言葉を使つてゐるか。
諸君の顔面筋肉は如何に硬直してゐるか。諸君の眼は如何に鋭くつても、それは極めて単純な感情を語り得るに過ぎないではないか。
諸君は道で遇つた友人に何と云つて挨拶をするか。諸君は旅から帰つて来た父親を何と云つて迎へるか。
数多き言葉が必ずしも一つの場面に生彩を与へるものでないことはわかり切つてゐる。
「めいめいの表現」を有たない生活からは、何らの想像も浮ばない。
文学は幻象の芸術である。わけても戯曲は、経験に呼びかける暗示の芸術である。
三 批評について
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