く「小さく」、悲劇作家は喜劇作者よりも「堂々として高尚らしく」、一個の魂を描く文学よりも、群集の心理を、社会の相を、人類の運命を、宇宙の神秘を取扱ふ文学により以上の「大問題」を感じ「大思想」を発見し、たゞそれだけの理由で、それが「偉大なる芸術」としてより以上の尊敬を受け、より以上「大きな価値」があるものゝ如く持て囃される傾きがある。古くとも帽子は尊く身につけずとも腰巻は卑しき類であらうと思はれる。
その半面には、いやに平凡ぶり、いやに大人ぶり、いやに苦労人ぶり、いやに「己を知つたかぶる」手合が多い。これはつまり、何んでもない顔をして「大きなこと」を云つてのけようといふ了見に違ひない。甚だ浅間しい。露骨な自己弁護に陥つて恐縮であるが――実はそんなに恐縮もしてゐないが――小生の書くものを評して、やれハイカラであるとか、気取つてゐるとか、甚だしきは、それ以外に何にもないとか、さういふ文句を耳にするが、さてさて、うるさいことである。ハイカラならハイカラでいやなら読まなければいゝ。気取つてゐるのが癪に触るなら、そつちを向いてゐればいゝぢやないか。誰もハイカラ代や気取り賃を出せとは云ふまいし、兎
前へ
次へ
全9ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング