生きようとする必要はないぢやないか。
或は云ふだらう。何人と雖もその心掛けが必要である。たゞ、文学者は、その心掛けを文に綴るを以て本領となすのであると。
なるほど、そこが議論の分れ目らしいですな。小生に云はせると何人も心掛けてゐることなら、それをわざわざ文学者などが文に綴つて、やかましく囃し立てなくつてもいゝぢやありませんか。さもなくてさへ、人生といふものは、考へても考へてもまゝならぬもの、できることなら、一時でも、そのまゝならぬ人生を忘れて、まゝになる別の世界に遊びたい。まあさう卑怯呼ばわりはし給ふな。君だつて、五月蠅《うるさ》い客に留守ぐらゐつかつたことはあるだらう。
それや、文学者の中には、物事を真面目に考へ、真面目に云ひ、大いに軽佻浮薄な世人どもを反省させる人もあつていゝ。と云つてまた、文学者の中には、真面目な事でも巫山戯《ふざけ》て云ひ、重大なことでも茶化してしまふ男があつていゝ。いゝといふのは、巫山戯ても、茶化しても、真面目なこと、重大なことに些かも変りはないからである。その変りのない、範囲に於て、真面目なことが一時でも真面目な顔を見せず、重大な事が一時でも重大さう
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