える日でしたかね。ちつとも気がつかなかつた。
一寿  毎月の第三日曜つてこと覚えといてくれ。愛子の亭主がゴルフをやりに行く日だ。今日はこれで風もなし、絶好のゴルフ日和だな。(クラブを振る真似をする)
らく  あなた、やつたことあるんですか。ゴルフとかつて……。
一寿  (照れて)ない。

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この時、扉をノツクする音。
一寿、慌てて、扉を細目に開ける。
「お電話です、横浜から」といふ声。
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一寿  ありがたう。(らくに)ぢや、今日はもう帰るか?
らく  しかたがないでせう。(これも起ち上つて、一緒に出かけるが、思ひ出したやうに)また序に、洗濯を持つて行きますよ。

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彼女は、戸棚から、汚れたシヤツ、猿股、ハンケチなどを取り出し、それを新聞紙に包む。脱ぎ棄てた洋服を壁に掛ける。ポケツトの中のものを出してみる。銀貨がチヨツキのカクシからこぼれる。その一つ二つを、手早く帯の間へ押し込む。
一寿が、寒さうにはいつて来る。
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らく  さうさう、いい話を聞きましたよ。
一寿  (大袈裟に)ああ、たまにはいい話を持つて来てくれ。
らく  さういふいい話かどうか知らないけど、今ゐる家の階下《した》の店へ来る問屋さんでね、悦子さんの学校へ文房具を入れてる人があるんです。その人がさう云つてましたよ――悦子さんは、どうして、すごいんですつてね。
一寿  さういふ噂は、半分に聞いとくといい。
らく  そりや噂だから、根も葉もないことかも知れないけど、なかなかすごいんですつて……。
一寿  すごいすごいつて、なにがすごいんだ?
らく  すごいんですつて、ああ見えて……。
一寿  校長を丸め込んでるとでも云ふのか?
らく  まあ、あたしの口からは云はない方がいいでせう。
一寿  やれやれ、さういふ癖が、お前にもあるのか。四十年この方、わしの識つた女は、例外なくそれだつたよ。
らく  そんなら言ひませうか。
一寿  云はんでよろしい。聞きたくない。
らく  あら、怒つたんですか?
一寿  (火鉢の炭を吹きながら)拗ねてみせるやうな年になつてみたい、もう一度……。
らく  悦子さんは、若い男の先生達から、とても騒がれてるんですつて……。ところが、うんと騒がしといて、そのうちの一人を、誰も知らないうちに、ちやんと手なづけてるんですつて、三年前から……。そりや、わからないやうにうまいんですつてさ。相手は五つとか年下なんですけどね、学校にゐる時は、まるで子供扱ひにして、お使ひまでさせるんですつて……。
一寿  (益々顔を火鉢に近づけ、やたらに灰を吹き上げる)あちいツ!(顰めた顔で、らくをみあげ)おい、頼むから帰つてくれ。
らく  はい、はい、ぢや、御用がなければ、あたくしは帰ります。
一寿  教へた通りの挨拶をして行け。
らく  (ぎごちなく、一寿の額に接吻する)

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彼女が出て行くと、一寿は、洋服に着かへはじめる。最初の場で唄つたのと同じ節の歌を口吟む。大きく咳払ひをする。嚏めをする。手で鼻を拭く。
カラの釦をはめようとしてゐる時、扉をノツクする音。
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一寿  アントレエ! おはいりイ!

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悦子が、肩掛に顔を埋めてはいつて来る。
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悦子  お変りない?
一寿  変らざること、ミイラの如し。お前も風邪は引かんかい?
悦子  風邪なんか引いてられないわ。忙しくつて忙しくつて……。
一寿  結構だ。
悦子  愛ちやん、今日来る?(チヨツキと上着を着せかけてやる)
一寿  今電話をかけて寄越した。出かける時間だけど、ゴルフ場から車が帰つて来ないんで、ことによると、少し遅れるかも知れんつてさ。十二時には間に合ふだらう。
悦子  今日は是非、会つてきたいの。この前はあんな風にして別れたもんで、あと気持ちが悪くて……。でも、ああなつちまつたら、なほらないもんね。もうちやんと性格になつてるわ。どういふものか知ら……人の言ひなりになるつてことがいやなのね。
一寿  亭主にはああでもなからう。
悦子  それが、あの女《ひと》うまいのよ。西洋人が日本の女のどういふところに目をつけてるか、ちやんと呑み込んでるわよ。西洋人のお神さんになつて、西洋の女の真似をしちや損だつてことを、百も承知なんだから感心だわ。甘え方だつて、ほら、何時かみてなかつた? あたしたちの前なんかと、どう? がらつと変つちまふでせう。まるで芸者よ。あれ、驚いた、あたし……。
一寿  驚くことはないさ。お前だつて、亭主を持つたらおんなじこつた。
悦子  違ひますよ。いくらなんでも、かういふ(頸と肩とを同時に寄せて行く科《しな》を作つてみせ)真似は、あたしにはできつこないわ。あんな恰好、何時の間に覚えこんだか、訊いてやらうか知ら……。
一寿  また、また! お前も近ごろ、ずばずば云ひ過ぎるよ。あいつはあいつでいいぢやないか。わしも、お前も、あいつの世話になつてるわけぢやなし、苦労はめいめい、有り余るほどもつてるんだ。それみろ、お前は痩せたぞ、この節……。
悦子  云はないでよ、それ……。自分にもわかつてるのよ。どこまで痩せてくか、黙つて見てて頂戴よ。これで、どうにもならないんぢやないの……。
一寿  苦にしちやいかん、苦にしちや……。人生は、ひらりとからだをかはすものの勝利だ。神谷をみろ、神谷を……。あいつが、からだをかはし損つたのは、細君だけだ。そのほかのことは、こいついかんとなつたら、その場で、なんの躊躇もなく、ひらり、ひらりだ。わしもそいつを喰つた一人だ。ああなくつちやならん。どうしたんだ、え? 妙に沈んじまつたぢやないか?
悦子  あたし、お水一杯ほしいわ。汲みたてない?(一寿が起たうとするのを止めて)いいわ、いいわ、あたし、行つて飲んで来るから……。コツプ貸して……。(戸棚へ行つて、自分でコツプを出す)
一寿  わしが持つて来てやらう。
悦子  いいのよ、さうしてらつしやいよ。

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悦子は、幾分重い足取りで廊下に出る。一寿はぽかんとそれを見送つてゐる。やがて、起ち上つて、蟇口の中を検める。紙幣が二三枚小さく畳んで入れてある。チヨツキのカクシに指を突つ込んで、小銭をつまみ出す。ちよつと考へる。が、別に何も気がついた風は見えない。
十二時の汽笛。
悦子が、帰つて来る。顔が蒼ざめてゐる。
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悦子  おうお、寒い。
一寿  さあ、あたれ、あたれ……。(椅子を一脚火鉢のそばへ引寄せてやる)
悦子  おらくさん、どうしてます?
一寿  うむ?(聞えないふりをしてゐる)
悦子  おらくさんよ。近頃、どうしてますつて訊いてるの。
一寿  (曖昧に)いやあ……あれもねえ……なんちゆうことはないさ。
悦子  あたし、ちつともかまはないから、一緒におなりになつたらどう……。さうしていただかないと、あたし、却つて困るわ。第一、御不自由でせう。それに、あたしがわる者みたいで……。ねえ後生だからむづかしいこと云はないで、側へ呼んでおあげなさいよ。
一寿  なあに、お前が思つてるほどのことはない。わしも、かういふ生活は、慣れつこになつとるし、気楽でいいよ。なにも今更、朝は味噌汁でなけりやならんといふわけもなしさ。お前たちさへ、かうして、時々顔を見せてくれさへしたら、このままかうしてゐるのが、誰にも迷惑をかけんで一番いい。おや、お前、熱でもあるんぢやないか。顫へてるぢやないか。(娘の額に手をあててみる)まだ寒いか。
悦子  (肩で呼吸をしながら)愛ちやん、早く来ないかなあ……。人が待つてるのを知らないんだわ……。
一寿  (腰を浮かし)もう家を出たかどうか、訊いてみよう。
悦子  電話? いいぢやないの。来る時は来るわよ。あたし今日は愛ちやんと、一生の仲直りをすんの。
一寿  立会人はいらんのか? わしは、もう役に立たん。お前たちの一生と云へば、わしが死んでからの方が長いわけだ。
悦子  立会人なんかいるもんですか? ひとりでにうまく行く方法を考へたのよ。
一寿  さう云ふが、お前たちはそれほど仲の悪い姉妹《きやうだい》でもないぢやないか。それに較べると、あれなんかひどかつた。話したかも知れんが、わしが最初に外務省から語学の勉強にやらされたフランスのトウウルといふ町でだが、丁度下宿をした家に、五十そこそこの婆さんが二人ゐてね、一方はマダム・テパアズ、一方はマドマゼル・ポオリイヌとみんなが、呼んでゐた。二人とも、その家の主人の姉さんで、めいめい食扶持を持ち寄つて所謂共同生活をやつてゐるわけだが、その二人姉妹は、姉さんのマダム・テパアズがお嫁に行つてゐる間の幾年かを除いて、それこそ、朝晩顔をつき合はせてゐるといふ間柄だ。ところで、この二人は、もう十年間お互に口を利かないといふんだから、驚くぢやないか。それまでは、何かにつけて意見が合はず、しよつちゆう、口論もする代りに、まだ、人の前なんかでは、普通の姉妹に見えたものださうだ。どつちか一方が、箒を持つて門口までもう一方を追つかけて来るところをよく見かけたなんていふ話は、まだ愛嬌があつていい。それが、最近の十年といふもの、今も云ふとほり、ぱつたり、口を利かなくなつてしまつた。むろん、話し合ふ用事なんかなくなつてしまつたんだらう。わしは、食堂で、三度三度その二人が卓子の両|端《はし》を占領して、まるつきり眼と眼を反け合つてゐる有様を、ある時は気まづく、またある時は滑稽に思つてながめ暮したもんだ。あそこまで行けば、喧嘩も徹底してゐる。仲が悪いなんていふ生やさしい関係ぢやない。さうだらう、顔を見るのもいやだから、自分はほかへ遷らうつていふ気をどつちかが起しさうなもんだのに、さういふ気は起さない。ね、毛唐はさういふところが面白い。遷つた方が負けになるんだ。主人の細君、つまり、その婆さんたちの義理の妹といふのが、これはまた陽気な女で、いい対照だつた。さう云へば、喧嘩をしてゐる二人も、顰めつ面ばかりしてゐるわけぢやない。相手を前において、ほかのものと必要以上にはしやいだりすることもあるんだ。一種の示威運動だ。――お前さんと口を利かないぐらゐで、あたしの人生は不幸になりやしないよと、つまり、それとなく虚勢を張つてみせる。さあ、さうなると、一方も、これに対抗する上から、そばの誰かをつかまへて、自分が現在如何に幸福であるか、その日その日を如何に楽しく送つてゐるかを力説する。更に片つ方が親友と旅行する計画について吹聴すると、片つ方は、教会の集りで、余興委員に挙げられたことを自慢するといふ具合に、そのへん、なかなか、聴く方でも骨が折れる。

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扉をノツクする音。
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一寿  アントレエ!

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愛子が、すばらしい洋装で現はれる。
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一寿  (わざと、西洋紳士が貴婦人を迎へ入れる時のやうな調子を真似て)ビヤン・ヴニユウ・シエエル・マダム。(それから、椅子をもう一脚火鉢のそばへ寄せながら)アツソイエ・ヴ・マダム・ラ・ヴイコンテス!
愛子  (父親の道化芝居には目もくれず、いきなり、姉の方に向つて)どう? 忙しい? 
悦子  愛ちやん、今日は一生の仲直りしませう。あたし、今度、遠くへ行くことになつたの。
一寿  (驚いて)何処へ行くつて?
悦子  まだ、はつきり決めてないの。なるべく遠くへ行つちまふつもりよ。
愛子  なあぜ。
悦子  少し、わけがあつて……。ゆつくり話
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