かうなんでせう。
愛子 お互が一番頼りにならないからよ。世の中の面倒な問題、何が解決してくれると思つて? 一に勇気、二にお金、三に時間よ。名誉心や、同情がなんになるもんですか。
悦子 だからよ。その、勇気もお金も時間もない時の話よ。
愛子 汽車に乗るんぢやないから、時間はたつぷりあるでせう。
悦子 死ぬまで待てばね。
一寿 はてな、初郎の写真は、何処へしまひ込んだつけな……。
悦子 愛ちやん、議論なんか何時だつて出来るから、今日は、三人で、約束しませうよ。お互に、心配なことはなんでも相談し合ふこと、いつさい秘密を作らないこと、お互に気がねなんかしないで注文を出し合ふこと……。
愛子 自分の行為に対し自分が責任をもつつてこと、姉さん、お嫌ひ? 議論ぢやないわよ。ただ訊《き》いとくだけ……。
悦子 今あたしが云つたことは、それと矛盾しないと思ふわ。
一寿 よし。二人の云ふことはわかつた。両方とも正しい。わしが折衷案を出す。
愛子 いいわよ。どうせ守れない約束なんかしたつてしやうがないわ。
悦子 あたし云ひ方が、教師臭いからいけないのね。どう云つたらいいか知ら……。みんなが、だんだん遠くへ離れて行くやうな気がして、なんだか心細いのよ。まだまだ今のうちは、手をつないでなきやどうにもならないんぢやない?
愛子 パパは、あたしたち二人が子供の時分、どつちが余計可愛いとお思ひになつた?
一寿 (当惑した笑ひ)さうさな……。
悦子 そりや、あんたよ。生れた時から抱つこされてたんですもの。
一寿 (笑ひに紛らしてしまふ)
愛子 さういふこと、平気で云へないもんか知ら……。
一寿 なにしろ、お前が四つ、姉さんが六つの時には、もうわしは日本を離れちまつたんだから……。
愛子 あたしの方が可愛いかつたつて、ちやんとおつしやいよ。
悦子 愛子つていふ名前をみてもわかるわね。
一寿 そいつは、お前……。
愛子 だから、今がどうつていふわけぢやないのよ。以前のこと。とつくの昔のことよ。ああ、うれしい。それだつてパパの秘密の一つよ。
悦子 よしなさいよ、いぢめるのは……。
一寿 さういふことをいふなら……まあ、赦しといてやらう。お母さんが一番よく知つてるさ。わしは、お前をおぶり、姉さんを抱いて、「汽笛一声」を唄ひながら、縁側を行つたり来たりしたことがある。
悦子 それ、なんのためだつたの?
一寿 寝かせつけるためさ。二人とも泣虫でしやうがなかつた。
悦子 お母さんはさういふ時、どうしてらしつたの?
一寿 さあ、なにをしてたか?
愛子 知つてるわ。お里へ帰つてらしつた。
一寿 畜生、聞いたな、その話を。
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間。
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悦子 兄さんが学校のお友達を大勢連れて来て「やい、みんな、欲しいやつに、おれの妹やるぞ」なんて呶鳴つてたの、あれ、幾つぐらゐの時か知ら……。あたしつたら、その前へ呼び出されて、平気で立つてたのよ。……さうね、平気でもなかつたけれど……。子供の時分つて、考へると、こはいわ……。
愛子 さ、しんみりしちやつたら、出掛けませうよ。今夜は忙しいのよ。
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そこへ、らくが、テーブルを片づけに来る。
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らく おなかがお空きになりましたでせう。
悦子 いいえ、さうでもないわ。御飯の用意まだでせう。あたしたち、もう出掛けるの。
らく おや……。
愛子 いいのよ、そんなにびつくりしないだつて……。外で食べるつもりなんだから、どうせ……。
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一寿が妙な咳払ひをする。らく、急いで退場。
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一寿 近頃、洋食といふもんが、まるで口に合はん。お前たちは、洋食洋食と云つて騒ぐが、あんなもん、何処がうまいんだ。
悦子 丁度いいぢやないの、おらくさんはバタの臭ひを嗅ぐと胸がわるくなるつて云つてるから……。
一寿 (悦子に)おい、二階から洋服の上着をもつて来てくれ。いや、わからんかな。わしが行かう。(出で去る)
愛子 さつきの手紙ね、おやぢ、ほんとに見当つかないか知ら?
悦子 あたしはつくけど……。
愛子 後生だから、姉さん、余計な干渉しつこなしよ。
一寿 (帰つて来て、紙幣の束を卓子の上に投げ出し、知らん顔をして、煙草に火をつける)
愛子 (それを全部そのまま自分の方へ引寄せ、悦子に)ぢや、これで、こないだの分、みんな貰つとくわよ。かまはなくつて?
悦子 (笑ひながら)しかたがないわ。またいる時借りるから……。お父さん、愛ちやん、すばらしいピアノを買ふんですつて……。独逸製よ……。
一寿 そんな金が何処にあつた?
愛子 安い出物があつたの。もち[#「もち」に傍点]、セカンド・ハンドよ。たつた四百円ですもの。
一寿 だから、そんな金を何処から引出したんだ。
愛子 あら、引出すつていへば銀行ぢやないの?
悦子 お父さん、御存じない? 愛ちやんは財産家よ。(妹に眼くばせをして)云つてもいいこと?
愛子 人の貯金のことなんか、どうだつていいわよ。さうさう、ねえ、パパ、このお人形、あたしに頂戴ね。せんから欲しかつたの。(飾棚の和蘭人形を取上げる)
悦子 あら、ずるいわ。
一寿 そいつはなあ……まあいいか。人にやるんぢやないよ。
愛子 (奥に向ひ)ちよつと、おらくさん……小母さん……あたしの部屋の電球とり替へといてくれた?
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奥で、「あ、さう、さう」といふらくの声。
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悦子 球なんか自分で替へなさいよ。
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そのうちに、らくが、電球を持つて現はれる。
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らく これでよろしいでせうか。
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愛子は引つたくるやうにそれを受け取つて、すかしてみる。
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愛子 駄目よ、これ、二十四ワツトぢやないの? 四十でなきや、暗くつて、字も読めないわ。
一寿 (娘のやや粗雑な言葉の調子を聞きとがめ、しばらく、ぢつと眼をつぶつてゐるが、やがて)おい愛子、それから悦子、お前たちに云つておくがね……。(長い間)この女《ひと》は、もう雇人ぢやないんだよ。
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この突然の宣言に、女たち三人は、それぞれの驚き方で、すくむやうに後退りをしながら、互に妙な会釈を交す。
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一寿 お前たちに「お母さん」と呼ばせるかどうか、そこまではなんとも云へない。お前たちの意見もあることだらう。ただ、かういふことは、内証にしておくべきでないと、今ふと考へついたんだ。お前たち二人は、なんにも心配しないで、伸び伸びと、自分の生活を築いて行きなさい。この女《ひと》も、半生は不仕合せだつた。わしも弱かつた。これも縁だらう。黙つて見逃しておくれ……。
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らくと悦子とは、云ひ合はしたやうに顔を伏せる。愛子は、ひとり、昂然と、父の方を見据ゑてゐる。
父親退場。
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悦子 ぢや、ちよつと、あたしたち出て来ますわ。
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娘達退場
らく、室を出ようとする。
娘桃枝、そつと現はれ母親の顔を見る。
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二
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舞台は前に同じ。
数日後の日曜日――午前十時頃。
一寿と田所理吉(二十九歳)。主客は卓子を挟んで向ひ合つてゐる。田所は、二等運転士の服装、健康な赭顔に絶えず微笑を泛べてゐる。
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田所 あれが香港かハワイあたりだつたら、病院も相当なのがありますし、ことによつたら、あんなことにならずにすんだかも知れません。しかし、丁度、発病の時機もわるかつたんです。
一寿 いろいろ、みなさんにお世話をかけたことだらう。日頃の不養生が祟つたんだね。酒はあまりやらんやうだつたが、あの通り、どか食ひ[#「どか食ひ」に傍点]をしよるんでね。
田所 いや、初郎君なんか、まだ神妙な方ですよ。去年の夏、一緒に伺つた岡田なんて奴は……。
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そこへ悦子が現はれる。
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悦子 愛子はなんだか気分がわるいんで、失礼するつて申してますわ。少し風邪気味らしいんですの。
田所 (ぢつと悦子の顔を見つめ)ちよつと顔だけ見せるつてわけに行きませんか。
一寿 今朝、食事の時は起きて来よつたぢやないか。
悦子 起きてはゐるんですよ。でも変な顔してお目にかかるのいやなんでせう。さうさう、岡田さんはどうしていらしつて?
田所 相変らずですよ。今もお話したんですが、奴さん、この夏お嫁さんを貰ひましてね……。
悦子 あら……。
田所 それで可笑しいんです。上陸するたびに、まあ家へ帰るのはいいとして、船へ戻つて来ると、きまつて腹をこはしてるんです。なんでも、いきなり汁粉をこさへさせて、そいつを朝昼晩と食ふらしいんですな。
悦子 まさか……。
田所 船乗りなんて、みんな子供みたいなもんですよ。
悦子 それでゐて、何時かは、麦酒をあんなに滅茶にお飲みになつて……。
田所 あれは初郎君がわるいんだ。先生は人をおだてる名人でしてね、煽動家ですよ。うちの船長がその手に乗つて、たうとう黒ん坊の女と寝たつて話……あ、いけねえ……。
一寿 何とね?
悦子 いやねえ、黒ん坊の女とですつて……。
一寿 ああ、君がかね。
田所 いや、僕の話ぢやないんです。ああ、もうよさう。どうもたまに陸へ上ると、頭の調子が狂つて来やがる。
一寿 ああ、君、なんか特別な話があるんだつたね。こいつがゐちや具合がわるいか。
悦子 あたしはもう引込むわよ。明日の準備もありますし……では、ごゆつくり……。
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悦子が奥へはいると、両人はしばらく、黙つて煙草を吸つてゐる。
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田所 どうも、少し、切り出しにくいんで……。
一寿 さあ、遠慮なく云ひ給へ。但し、僕の力に及ぶことかどうか……。
田所 それが問題なんですが、ぢや、はつきり云ひます。実は、愛子さんのことで御相談があるんです。
一寿 …………。
田所 僕も、やつと一等運転士《チーフ・メート》の免状も取りましたし、そろそろ……。
一寿 ああ、わかつた。愛子をくれと云はれるのか。そいつは、僕に相談してもなんにもならんよ。僕から取次いでもいいやうなもんだが、あれも自分のことは自分でやると云つとる。なるほど、それだけの頭もできとるやうに思ふから、僕も一切信用して、放任主義を取つとるんだ。そりや、君、世間の親達は、娘の将来にあれこれと喙を容れたがるが、それだけ娘を幸福にできるもんか? 僕はその点、親の権能といふもんを、正しく認識しとるつもりなんだ。娘の方から相談してくれれば、こりやまた別で、当りさはりのない注意ぐらゐしてやれんこともないが、僕んとこの娘たちは、ことにあの愛子といふ奴は、なかなか自信家でね。僕からでも、そんな話を持ち出さうものなら、てんで相手にはせんよ。まあまあ、そこはよろしくやり給へ。
田所 さうおつしやられると、実は、どうしていいかわからなくなるんです。まつたく取りつく島がないわけなんで……。といふのは、順序として、お話しなければわかりませんが、以前、初郎君に
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