ね。吾輩が連れてつて、社で吹き込ませたもんさ。その時、接待係といふのか、君んとこの令嬢が、さあ、用意が出来ましたから、どうかこちらへといふやうなわけでね、よろしくシヤルマントなところを見せてしまつたんだな。それからといふもの、うるさく社へ顔を出すさうだよ。忘れないうちに云つとくが、その青年、年は三十七、日本流に数へても、八だ。名前は、ルネ・ド・ボオシヨア、文字通りのブルジヨア・ジヤンチヨンムで、さつき云ひかけたが、モロツコにどえらい地面と、革の工場をもつてるさうだ。
一寿 なんの?
神谷 革さ、牛や羊の皮……。
一寿 玉の輿かと思つたら、それぢや革の輿か。なるほど、別段腹も立たんね。しかしだ。かう見えて、吾輩も、やつぱり日本人の端くれだな。娘を毛唐の腕に抱かせるのかと思ふと、なんとなく後暗い。当人同士、事を運んだといふなら別だが、君もそこを察してくれ。これで妙なもんだ。娘たちの意志に逆らふまいとすればするほど、父親の見栄といふやうなものが、事毎に自分を臆病にする。一切干渉はせんといふ主義だが、さうなると、もう、してやりたいことも、おつかなびつくり[#「おつかなびつくり」に傍点]伺ひを立ててからといふ始末だ。知つての通り、母親もなく……。
神谷 さう、まあ、悄げるなよ。
一寿 悄げるわけぢやないが、勇気はまるでない。娘たちと一緒に暮すことさへ、気兼ねだ。そこで、此間も、――どうだ、お前たちは、もつと自由な空気を吸へ、アパート生活でもしてみる気はないか、さう云つてやると、二人とも顔を見合して、結局、不賛成さ。どういふわけかと思つたら、自分たちが稼ぐ分だけは、今迄どほり勝手に使ひたいと云ふんだ。吾輩程度の分際では、生活費をまるまる補助するといふことは、こりや無理にきまつてる。が、そこだて。吾輩の恩給の七十円なにがしといふもんを、月々そつちへ廻さうかと云つてみた。すると、今度は、どういふ返事をしたと思ふね。
神谷 むろん、異議あるまい。
一寿 異議はない。ただし、どうせ呉れるんなら、このままかうしてゐて、それだけお小遣に貰つた方がいいといふわけさ。
神谷 なんだつて、さう小遣がいるんだ。
一寿 上の奴には、妙な道楽があるらしい。
神谷 道楽とは?
一寿 慈善さ。寄附行為さ。
神谷 ほほう、珍しいね。
一寿 いゝかね、そこでだよ、その七十円なにがしのお小遣も、たうとう有耶無耶で出すことになつた。ところで、吾輩がそいつを渋々出してると思ふかね。とんだ間違ひだ。オー・コントレエル。吾輩は、何時もびくびくもんで――そのうちに突つ返されやしまいかと思ひながら――それこそ、顔も見ないやうにして放り出すんだ……。
神谷 先生たちは、君の暮し向きについて、別に知らうともせんのだな。
一寿 実は、近頃少々、手元を見透かされ気味でね。なかなか、うつかりできん。――お父さんは痩我慢を張つてるなんて、二人が蔭で笑つてやすまいかと思つてね。
神谷 笑つてるね、たしかに。吾輩も可笑しくつてたまらんよ。
一寿 ぢや、そのつもりで一杯あけてくれ。(葡萄酒を注がうとする)
神谷 もう沢山。君の話を聞いてゐると、世の中に子供をもつぐらゐ不幸はないといふことになる。
一寿 従つて、君ぐらゐ仕合せな男はないといふことになる。細君は、相変らず、君を叱るかね。
神谷 あんな婆は問題ぢやない。有つて無きが如しさ。
一寿 ほんとに無ければなほよろしいか。
神谷 (玄関の方を振り返り)誰か来たやうだね。ぼつぼつ失敬しよう。
一寿 なに、娘だらう。丁度いいから、少しからかつてやつてくれ。だが、今の話は内証だぜ。
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らくが現はれる。
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らく お二人とも御一緒にお帰りになりました。(更に声を高くして)あのお嬢様……。
一寿 わかつとる。神谷さんがいらしつてるからつて、さう云ひなさい。
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悦子愛子の姉妹がはいつて来る。姉は和服、妹は洋装である。一見地味な扮りをした姉は、何処となく朗らかで、妹はパツとした服装のわりに、冷たく取澄してゐる。
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一寿 どうした、早いぢやないか、今日は……?
悦子 虫が知らせたのよ、ねえ、愛ちやん……。
愛子 (神谷に)先達ては……。
神谷 やあ、かうして、お二人を並べて見るのは随分久し振りだな……。
一寿 初郎の葬式の時、寺へ来てくれた、あの時が最後かね。
神谷 この春ね。さうだ。悦子さんも愛子さんもなかなか評判がいいですよ。
愛子 あら、どちらで……?
神谷 到るところで……。さうさう、ボオシヨア君は近頃も社へやつて来ますか?
愛子 ああ、あの西洋の方……。ええ、あの方ならちよいちよい……。
神谷 いい青年でせう。わりに上品な……。フランスの貴族ですよ。
愛子 御自分で、それを吹聴してらつしやいますわ。
神谷 吹聴するかなあ。困るんだ、実に、フランス人つてやつは……。
一寿 (得意げに)争はれんもんだ。(悦子に)今日は夜学はないのか?
悦子 代つて貰つたのよ。だつて、この人つたら、どうしても今夜映画見に行くつてきかないんですもの……。
神谷 この次は、わたしがお伴しよう。
悦子 でも今日は、ごゆつくりなすつていただけるんでせう。
一寿 こいつの学校つていふのがね、貧民の子弟が大分来るらしいんだ。もうちつといい学校へ替へて貰へつて云つてるんだけど……。
悦子 いい学校ぢや、こつちが勤まりませんわ。
神谷 気のせゐかも知れんが、かうしてみると、悦子さんは少し疲れておいでのやうだな。子供の相手の仕事は、賑やかなやうで、実は、地味なことこの上なしですね。わたしも中学を出て二年ばかり田舎の小学校へ勤めたことがあります。
一寿 どうだね、姉の方は、君の眼鏡で、適当な候補者はないかね。
悦子 お父さんは何時でもあれね。さういふお話、ここでなさらないでもいいわ。
神谷 ははあ、聞えないや。
一寿 ところで、君、ほんとに急ぐのか? 今用意をさせてるんだがね。
愛子 あたしたち、どうしようか知ら……。
一寿 お前たちは引止めないよ。
神谷 いや、いや。吾輩は、そんなことはしてゐられない。もう約束の時間だ。悦子さん……、この次は是非、愛子さんと一緒に、何処かへ御案内しませう。日曜ならよろしいな。
愛子 (神谷に)あの、呼出しですけれどお電話いただけば……。(さう云ひながら、自分のハンドバツクから名刺を出して、神谷に渡す)
一寿 へえ、そんな名刺こさへたのか。
神谷 可笑しな話だけどね。うちのマダムは、此の頃になつて、女名前の手紙をいちいち見分けるのには閉口しとる。
一寿 君のところへ、そんなものが来るかね。
神谷 お嬢さんたちの前で云ふことだ。良心に誓つて、猥らなもんぢやない。あんたみたいな娘が一人欲しいなんて云ふとつたよ、うちの婆さん……。
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丁度そこへ、らくが、一過の手紙を持つて来る。
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らく 速達が参りました。
一寿 速達……?(受取つて)Tiens《チヤン》! 誰だらう……。はてな、田所理吉……(娘たちは顔を見合はし、意味ありげに眼くばせをする)
神谷 ぢや、吾輩はこの辺で引上げよう。まあ、お嬢さん方、ごゆつくり……。
一寿 さうかね。スキ焼はまた今度か。
神谷 さうしよう。ボンソアル・モン・ヴイユウ!(手を差出す)
一寿 メ・コンプリマン・ア・マダム。
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一同、神谷を送つて、玄関に出る。
やがて、悦子と愛子とがはいつて来る。
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悦子 タイプが共通ね。
愛子 でも、流石にどつか違ふわ、憎々しいところがあるわ。
悦子 さうか知ら……。おやぢより、もつとおつちよこちよいに見えるけど……?
愛子 さうよ、いいつもりでゐるところがね。
一寿 (はいつて来て)面白い男は面白い男だが、少し調子に乗りすぎとる。ああいふ男が成功するんだから世の中は広いもんだ。世間は広いやうで狭いといふが、その実、狭いやうでゐてやはり、広い……。
愛子 パパ。……
一寿 わかつとる。今、渡すから、ちよつと待つてくれ。この速達が、どうも気になる。田所理吉といふ男は、金輪際、わしの記憶にない。(手紙を開封する)
悦子 あら、覚えてらつしやらない?
愛子 去年の夏、兄さんが連れて来たお友達よ。
一寿 (しばらく黙読してゐるが)ふむ、なるほど、さう書いてある。初郎と一緒の船に乗つてゐたとある。……「御臨終の模様など、詳しくお耳に入れたく、枕頭にあつて、及ばずながら最後まで御世話申上げた同僚の一人として、夙にかくすべき義務を感じてゐた次第であります。なほ初郎君亡き後ではありますが、小生一身上の問題につき、御親父たる貴下の御配慮を煩はしたき儀もあり……≪なんぢや、これは……≫、此度、休暇上陸の機を得ましたのを幸ひ、至急御面接お許し下さるやう願ひあげます。突然参上いたすも如何かと存じますので、予め御都合御漏し下されば幸甚に存じます。住所は表記の処でございますが、念のため電話番号を記しておきます。下谷一七九三。」
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長い沈黙。
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愛子 なんだか変ね。(悦子の方をみる)
悦子 (小声で)知つてるわよ。
一寿 小生一身上の問題か……。御親父たる貴下の御配慮とは、どういふ筋合のもんかな。
悦子 兄さんの代りにお父さんに心配していただかうつていふのよ。
一寿 それはわかつとるが、何を心配しろといふんだ。
愛子 そんな話聞かない方がいいわ。他人のことまで心配してたらきりがなくつてよ。
一寿 去年の夏と……あのうちの一人だな。顔なんかろくに覚えとらんが……。お前たち一緒に何処かへ出掛けたぢやないか。
悦子 ほら、奥多摩へピクニツクよ。
愛子 …………。
悦子 みんな黒かつたわね。だけど……。
一寿 とにかく、会はんわけに行くまい。お前たちも一緒にどうだ。
悦子 兄さんのことで詳しいお話を聞けるには聞けるけど……。さあ……(愛子の顔を見る)
愛子 あたしはどうでも……。その手紙の調子だと、会つても面白くなささうだわ。
悦子 なんだか固苦しい文章ね。尤も兄さんは「奉り候」よ。候文の方が短くつてすむんですつて……。
愛子 さ、この方はパパにお委せして、あたしたち、そろそろ出掛けませうよ。
悦子 ちよつと待つて……。兄さんのことからいろんなこと思ひ出したわ。ああ、なんだか不思議よ。こんなぼうつとした気特にまだなれるのか知ら……。
愛子 いつまでもお若くつて結構ね。
悦子 朝は早いし、夜はねむいし、眼の前には用事ばつかり溜つてるし……。
愛子 遊ぶだけでも忙しいし……。
悦子 さうよ。頭が、前へも後へも働かないつていふ感じね。それが、今晩は……ほんとに久し振りだわ……。嗤はれてもいいから、あたし、少し、しんみりしようつと……。
愛子 これからすんの? よしてよ、後生だから……。
悦子 (父のそばへ行き)ねえ、お父さん、同胞《きやうだい》や親子の間に、何か秘密があるつてことは不幸ぢやない? 秘密つていふと大袈裟だけど、自分だけで苦しまなけりやならないことがあつたら……。
一寿 (眼をつぶつてゐる)どうしてそんなことを云ひ出したんだ。
悦子 どうしてつてことないけど、兄さんのことを、ふつと考へて、親同胞つてもつと近いもんぢやないかつて気がしだしたの。みんなてんでんばらばらでゐすぎたわ。お互に、知らないことが多すぎるわ。うちぢや誰も相談つてことをちつともしないのね。どうして、
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