れを果さずにゐるが、おほかた、察しはつくのである。
その他、投書などによつて推定される一般の読者について、私は常に新聞小説といふものが、いかなる制約があるにせよ、やはり書き甲斐のあるものだといふことを感じさせられる。
しかし特別な場合を除き、全部を書き終へてから発表するといふ当り前なことがどうしてもできない実情と、読者の側からは、一回に限られた僅かの行数を、まる一日の間をおいて読み続けて行かねばならぬといふ奇妙な読書法とを、殆ど無意識ではあるが今日まで多くの作家が、「新聞小説」のひとつの「呼吸」として、生かし、利用してゐることは否めない。
こゝから新聞小説の、即興的とまでは云へぬにしても、やゝ「時間芸術」のあるものに類似した、観念の深さの限界と、文体に必然的に影響するリズムの法則とが考慮されなければならぬのではないかと思ふ。
強ひて理窟をつければ、まあこんなことになるけれども、だいたい、そんなことは計算づくで書いてゐるわけでもあるまい。文学の諸種目を生みだす制約といふものが、鑑賞者のそれに応ずる精神の働かせ方に基礎をおいたものであるとすれば、特に、例へば、新聞小説の場合に、読者
前へ
次へ
全6ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング