の意見を持ち寄らなければ、完全な具体性をもち得ないものと私は信じてゐる。

 次に、新聞小説を読む読者の質について屡々説をたてるものがあるが、私の経験ではそれを決定するなんらの拠りどころはないやうである。
 寧ろ、新聞小説を読むものが、どういふ要求から、どんな読み方をするかといふ方が、作者として参考になる。
 お互に気がついてゐるやうに、新聞の連載ものは、毎日欠かさず読まなければ、その興味はまづ大半失はれると云つていゝ。ところが、毎日欠かさず読む人は、非常な努力をしてか、或は、やゝ習慣になつてゐるか、どつちかである。
 私はどつちかといふと、新聞の連載小説といふものを、たゞの一度も通読したことがない。二日続けて読んだものも稀である。読みたいものは本になつてから読めるといふ安心があるのと、せつかちで物臭と来てゐるから、努力もしないし、習慣もつかないのである。
 しかし、読書人として読むものに事を欠かぬ錚々たる私の友人の二三は、どんな小説でも取つてゐる新聞の小説は必ずみんな読むと豪語してゐる。かういふ人々がどんな要求からどんな読み方をしてゐるか、本音を聞いてみたいものだと思ひながら、まだそ
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