のみが成長し、そのうちから更に、よい仲間と共によい見物を味方となし得たもののみが、昂然と「芸術で食へる」と云ひ得るのである。
その事実が不合理だといふ説も成立つだらう。「社会のために働いてゐて」食へん法はないといふ理論である。一応賛成であるが、適材適所の法則は、如何なる時代に於ても奨励されなければならぬ。道を迷つた人々に、道を誤るなといふ警告も私の意見の中に含まれてゐることを注意して欲しい。そして、如何なる職業と雖も、修業中は一文にもならぬこと、早く金が欲しければ、長い修業を必要としない方面を選んではどうかといふまでである。
くどいやうだが、永久の素人芝居のために、ある人々は今日まで、あまりに大きな犠牲を払ひすぎた。正しい修業を積む勇気もないものが、同志の名に於て「新劇」にぶら下ることは、もういい加減にやめてもらひたい。遠大なる劇団の理想も、それらの寄寓者へのお義理のために、中途にして挫折するのである。
とはいへ、それは誰が悪いのでもない、国情が悪いのである。
演劇的新種に適せぬ土壌は、何人かの手によつて、もつと有効に耕されねばならなかつたのである。「新劇」は今日まで、何をなし
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