る筈はない。が、かういふ見物に迎へられる「演劇」は、わが国現在の情勢からみて、一つの「標準的な」現代劇と見なし得るのであつて、これが、「新しい戯曲的才能」の苗床たり得るところに、私の終局の目的が存するのである。
一見、若い天才は、常に「新運動」の中からのみ生れ出るやうに見えても、その実栄養分の八十パアセントは、「新運動」そのものの中からは取つてゐない。寧ろ、その以前の「行きづまつた」土壌を破つて、立ち上る途端に、その「根」は既に水々しく伸び肥つてゐるのである。
心身ともに溌刺たる「芸術的演劇」の誕生はそれから先のことであらう。
演劇をもつて、文化の急角度的刷新に役立たしめ得る時代は、多分また、それから後に来るであらうと思ふが、どうか?
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新劇の始末
現在の新劇団体が、そのままの形態と方向で成長し、且つ、職業化し得るといふ考へ方に私は疑ひをもつ。だからといつて、現在の新劇団が今日努力しつつある仕事を軽視するものではない。それは、「ある期間」若干有意義ではある。社会的にも、個人的にも。しかし、それらの劇団のうちから才能あり、よき修業を積んだもの
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