と)それや、冷いさ。

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やがて、二人の姿が消えると、菰原献作が人夫を三人連れて、番小屋の裏から出て来る。
[#ここで字下げ終わり]

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
献作  ぶつくさ云はずに、まあ仕事を始めろ。

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三人の人夫は、鶴嘴とシヤベルで櫓の脚のまはりを掘りはじめる。
[#ここで字下げ終わり]

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
献作  手間は安くなつても、仕事がねえよりやましだ。その代り、一日んところを二日かけちまや、もともとだ。

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人夫三人は、調子を合せて歌ひ出す。
[#ここで字下げ終わり]

歌――もう出る、もう出るで、一年暮した
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宝掘る気で、温泉掘つたりや
いくら掘つても、温泉は出らずにや
出たと思つたは、熊の小便
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献作  よからう。こんだ、そつちだ……。
歌――もう建つ、もう建つで、半年暮した
[#ここから3字下げ]
家を建てるにや、道からつけろか
道をつけるなら、家から建てろい
人の通らん間に、独活《うど》が生えた……。
[#ここで字下げ終わり]

     三

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八月の末の或る日。午後四時頃。
小舎の内部。事務所に充てた一室。
正面に二つの窓。遠く、浅間の全容。窓ぎはに製図用卓子。
左手は居室に通ずる扉。
右手、奥に大きな窓。そこに、事務卓子が二つ、向ひ合つて置かれてある。同じく右手、プロセニウムに近く、事務所の出入口。
壁には、地図、宣伝ポスタア、軽便の時間表など。その他、書類を入れた硝子戸棚。室の一隅に、測量用器具が雑然と立てかけてある。
二葉が事務卓子の一つに向ひ、ぼんやり頬杖をついてゐる。
右手の窓口に郵便配達夫の姿が現れる。
[#ここで字下げ終わり]

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
二葉  遅いのね、今日は……。
配達夫  数が多かつたからね。(郵便物を卓子の上に投げ出す)
二葉  (それを、一つ一つ撰り分け、そのうちの一通を手早く開封する)
配達夫  今日は、持つてく手紙はないかね。
二葉  待つてゝくれゝば書くわ。
配達夫  さういふわけにやいかねえよ。腹がすいちまつた。
二葉  食べるもんぐらゐあつてよ。
配達夫  明日は早く来るよ。(去る)

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二葉は手紙を読み続ける。
右手の扉が開き、新井が飛び込んで来る。
[#ここで字下げ終わり]

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
新井  大将はまだ帰りませんか。
二葉  まだらしいわ。何か御用……?
新井  自動車一台ぢや、とても間に合ひませんね。今、一人駅で待つてるんですよ。
二葉  歩いて貰つたつていゝぢやないの、男の人なら……。
新井  印象が違ふでせう。一時間の軽便で、大概の人は、参つてますよ。
二葉  (手紙の上に眼をおとし)そんな人は、来なけれやいゝんだわ。
新井  しかし、大将も今日は有頂天ですよ。今年のうちに一人でも契約者が出来るなんて、考へてもゐなかつたでせう。なにしろ、まだ区劃割も……。
二葉  あんた、さうしてる暇に、お父さんを探してらつしやいよ。さつきの人達を案内してるうち、自動車を駅の方へ廻せばいゝぢやないの。
新井  さうしませう。あとでまた、蓄音機を借りてようござんすか。
二葉  いゝわよ。

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新井が出て行くと、二葉は、また、手紙を読み耽る。
とねが、左手の扉から顔だけ出して、そつと、この様子を見てゐる。
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とね  (やゝあつて)二葉さん、お汁粉をこさへたけれど、あがらない?
二葉  さうね、今いたゞきたくないわ。
とね  (はひつて来て)手紙が来たの?
二葉  (黙つてうなづく)
とね  いゝお便り……?
二葉  (口を尖らしてみせる)
とね  手紙に書いてあることなんか、いちいち気にしちや駄目よ。会へばなんでもないことなんだから……。(間)それぢや、あんたの分はとつとくから、あとでおあがんなさいね、欲しいとき……。
二葉  えゝ、ありがたう。

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とねの姿が奥に消えてから、二葉は手紙を懐にしまふ。
突然、外から、「二葉さん、また来たわよ」といふ女の声。
二葉、窓の外を見る。
やがて、扉が開いて、時田則子(二十八)が汗を拭きながらはひつて来る。
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[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
則子  近道をしようと思つたら、ひどい目にあつたわ。沢の中へ足を踏み込んで、こら、草履が台なしよ、このまゝでいゝか知ら……。
二葉  さうね。
則子  いゝわよ、どうせ
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