んから、あらまし聞いたわ。
とね  さう、そんならいゝけど……(葱を洗ひ終つて、起ち上る)ちよつと、そんな風に見えて、あたし?
二葉  見えないこともないわ。
とね  どういふとこ、例へば……?
二葉  むづかしいなあ、そいつは……。何処か、粋《いき》つていふのか知ら……。
とね  粋はよかつたね。はゝゝゝゝゝ。
二葉  (あつけに取られて、相手の顔をみる)
とね  大きな声を出すもんだから、びつくりしてなさるわ。此処にゐると、みんな声が大きくなるんですよ。近いと思つても、そら、周りが広いでせう。ちつとやそつと怒鳴つたぐらゐぢや、聞えないんですよ。
二葉  あたし、少し、あんたにお訊ねしたいことがあるの。今、お忙しい?
とね  お鍋を掛けつ放しにして来てあるんだけど……かまはないわ。どんなこと?
二葉  あなた、お父さんのお嫁さんになる気なくつて?
とね  なにかと思つたら、そんなこと……。こつちばかりさういふ気でゐても、しようがないぢやないの。
二葉  あなたがさういふ気でゐて下されば、あたし、骨を折つてよ。どつちでもいゝやうなことだけど、やつぱりさうと決まれば、万事に気持が違ふだらうと思ふの。あたしだつて、その方が、ずつと居心地がいゝわ。
とね  さういふ話、こんなとこぢや、ゆつくり出来ませんよ。たゞね、舁《かつ》ぐやうで変だけど、あたし、これまで、二度も人の世話になつて、二度とも、いざ正式につていふことになると、不思議によくないことがあるんですからね。
二葉  よくないことつて……?
とね  最初は、その男が急病で亡くなるし、二度目は、相手にほかの女ができて、こつちがゐたゝまらずに、出ちまふつて風でね。
二葉  ……。
とね  だから、このまゝでゐた方がいゝつていふ気もするんです。
二葉  ……。
とね  気をわるくなすつちやいけませんよ。あんたの御親切はよくわかつてるんだから……。
二葉  さうでせうかね。あたしは、さういふこと信じないけど……。でも、兎に角、さういふお気持伺つて、あたし、うれしくなつたわ。(間)お父さんは、優しい人でせう。
とね  さあ……、(笑つてゐる)
二葉  一緒にゐて、幸福だとお思ひになる?
とね  (とぼけて)幸福つて、どんなことをいふんでしたつけ……。
二葉  あら……。
とね  わかつてますよ、言葉の意味はね。でも、どんなことが仕合せかつて云はれたら、全く返事に困りますよ。うれしいと思つたことが、実は、不仕合せの種なんですもの。何時でもですよ、これは……。若い時分は、それや、違ひますよ。一度や二度は、あゝ仕合せだと思つたこともあつたでせう……。今ぢや、もう、男のそばにゐるつてことは、結局、障子に凭つかゝつてるやうなもんですよ。
二葉  それぢや、お父さんが可哀想だわ。
とね  それで丁度いゝんですよ。あんたには、お父さんのさういふところが、わからないんでせう。また、その筈だわ。
二葉  あたしにわからないとこつて……どんな風なの。教へて頂戴よ。
とね  それも、ひと口には云へませんけどね。つまりどつちかつて云へば、冷たいんでせうね。
二葉 そんなか知ら……。
とね  ……。
二葉  それぢや、あんたは、不仕合せね。
とね  さうとも限りませんよ。もつと不仕合せなことが、いくらだつてあるんですもの。云つてみれば、あたしに相当したところを、神様が探して下すつたんでせうよ。さう思つてますよ、あたしは……。まあ、この話は、これくらゐにしときませう。あとで、蓄音機、聴かせて下さいね。

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上の方から、州太の声で「おい、なにをしてるんだ。早く飯にせんか」
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とね  (眼だけで二葉に笑ひかけ)はい、はい……。(大急ぎで去る)

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二葉は、それを見送つた後、一つ時、ぼんやり立つてゐる。
州太が、再び現れる。
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州太  あいつと何を話してたんだい。
二葉  いろんなこと……。
州太  お前なんかと、話は合ふまい。
二葉  ところが、なかなか合ふのよ。
州太  へえ、そいつはどうかしてるね。
二葉  どうもしてないわよ。お父さんこそ、あの方をさういふ眼で御覧になるからいけないのよ。
州太  それはそれとして、飯にしようぢやないか。

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二人は、どつちからともなく歩き出す。
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二葉  (独言のやうに)さうか知ら……ほんとに冷いのか知ら……。
州太  (後ろを振り返り)なにが冷いつて……?
二葉  (突嗟に)山の水よ。
州太  (平然
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