泥靴のまんま上るところぢやないの。ちよつと、遠慮してみたゞけよ。それはさうと、お手紙が来たでせう。
二葉  えゝ。
則子  配達にさう云つといたのよ、こつちへイの一番に廻るやうにつて……。何時もより早かつたでせう。(間)あなたが待つてらつしやる手紙、あたしにちやんとわかるのよ。
二葉  感心ね。
則子  郵便局をやつてるから云ふわけぢやないけど、あたし、筆無精ぐらゐ癪にさわるもんないわ。青木利元さんも筆無精ね。
二葉  その話なら、もうよして頂戴よ。
則子  だつて、あたしも、手紙が来ないつていふことぢや、あなたとおんなじ苦労をしたことがあるのよ。

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奥から、蓄音機の感傷的な曲が聞えて来る。多分、新井がかけてゐるのだらう。
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則子  それが、ちよつと説明しないとわからないのよ。あたしの夫つていふのは、お話したかも知れないけど、ある製薬会社に勤めてゐた人なの、よくつて……。そこで、いよいよ赤ん坊ができたわけよ……。(間)すると、あたしにかういふの――自分の手許で産をさせるのは気がかりだから、一旦国へ帰つて、産をすましてから出て来いつて……。さういふもんだから。あたし、そのつもりで、こつちへ帰つて来たの。ところが、お産までは、一週に一度ぐらゐ手紙をくれたか知ら……。それつきり、あとは、ぷつつり便りが来ないの。どんな気持がしたでせう、そん時は……。あたしも、今のあなたとおんなじに、二日に一度づつ手紙を書いたわ。さうなると、もう、自棄《やけ》ね。おんなじことを、何度も何度も……。それが、一と月目に、やつと手応へがあつたと思つたら、こつちの手紙に符箋がついて戻つて来たの。おきまりの居所不明よ。泣きたかつたわ。
二葉  ……。
則子  それから、大急ぎで、東京にゐる友達に頼んで、会社の方を調べてもらつたの――会社へ手紙を出すことは止められてゐたんですもの。さうしたら、会社には、ちやんと出てるんですつて……。
二葉  (だんだんその話に聴き入つて来る)
則子  さうなると、あの父が承知しないわ。あたしが止めるのも聴かず、独りでのこのこ東京へ出掛けてつたものよ。会つてからの云ひ草が図々しいぢやないの。――「僕も、妻子の手前、さう何時までもかゝり合つてはをられませんから……」ですつて……。
二葉  え! 妻子の手前つて……?
則子  (なにくはぬ顔で)妻子つて云へば、つまり、あたしたちのことだわね。それに、さういふんですつて……。それや、薄々は……。でも、そんなこと、今更……。どつちにしたつて……兎に角、問題は……。結局、向うの……つまり、こつちの……。あゝ、なんだか、わからなくなつちやつた……。
二葉  (がつかりしたやうに)いゝわよ、もうなんにも聞かなくつたつて……。
則子  蓄音機かけてるの、新井さんか知ら……。
二葉  さうでせう。
則子  あたしも、かけて来てよくつて……あれが聴きたいのよ、そら……この前、好きだつて云つた……。(さう云ひながら、奥にはひる)

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二葉は、そのまゝ、卓子の上に突つ俯してしまふ。
とねが奥から顔を出し、この様子をみてゐる。
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とね  (やがて)どうしたの、二葉さん。
二葉  ……。
とね  あたしに云へないこと?
二葉  ……。
とね  あたし、だんだん、あんたのお母さんみたいな気がして来るのよ。可笑しいでせう。でも、ほんとなんだもの。大きな赤ん坊だ、これや……(二葉の肩へ手をかける)
二葉  (肩をゆすぶり)ほうつといて頂戴よ、なんでもないんだから……。
とね  駄々をこねてるわ。
二葉  いゝのよ、なんだつて……。あたし、一人で、少し考へたいことがあるのよ。あつちへ行つて、頂戴……。
とね  そんなら、仕方がない……。このおつ母さんは落第だ……。

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諦めて、彼女は、奥へはひらうとする。が、この時、二葉は、急に背中を波うたせて、啜り泣きはじめる。
途端に、左手から、州太がはひつて来る。
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州太  (この様子を見て)なにをしてるんだ。お前たちは……。つまらん真似をするんぢやない。
とね  (心外らしく)あら、そんなことぢやないんですよ。
州太  もういゝ。今日はどういふ日だと思つてる? 土地が始めて売れた日だ。みんなで、祝ひをせえ、祝ひを……。
二葉  (袖で顔を覆ひながら、奥へ走り去らうとする)
州太  待ちなさい、二葉。何処へ行くんだ。
二葉  (州太に背を向けたまゝ立ち去る)
州太  (とねに)おい、麦酒を持つて来い。
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