ことです。例へば、髪の毛を乱さず、帯をきちんと結ぶといふやうなことでも、それはもう貞節の堅固さを象徴することになるといふやうな意味があるのです。
「女の嗜み」として、特に大切なことは、どんな場合でも、女の本質を失はないといふこと、言ひ換へれば、女でなければ示されないやうな力を示すことであります。昔は「それは女の出る幕でない」といふやうなことをよく云つたものですが、今でもさういふことがないとは云へません。しかし、それは女の能力や役割を軽くみて云ふのではなく、女に不似合だといふことを云ひたいのだと思ひます。
 ある種の仕事や、行為は、なるほど、今迄は女にふさはしくなく、または、無理だと思はれてゐたものでも、現在は、その必要からと、また、女の欲求からと、自然に、女にもできる、または、女は女なりにそれに向いてゐるといふことがわかつて来ました。
 さういふ時に、やはり、「女のたしなみ」としては、「男のやうに」すべてをやつたのでは、女の本質がどこにあるかわからないことによつて、女自身の強味といふものが発揮されません。「女だてらに、あられもない」といふやうな言葉が、以前とはその内容がよほど違ふにもせよ、今日もなほ使はれていゝのでありまして、「流石は女だ」といふところが、消極的な方面だけではなく、積極的にも新しい「身上」とならなければなりません。
 わけても、これからの女性が身につけなければならない「たしなみ」は、如何なる境遇にあつても、かの「家庭の雑用」と叫ばれる細々とした仕事を、最も能率的に処理し、しかも、それが目的ではなく、より大きな目的を達成するための手段であるといふ、いはゞ綽々たる余裕を保つ技術的錬磨であります。

 次に、「女の嗜み」として是非とも若い女性に望みたいことは、普通の行儀作法もさることながら、特に、強靭な肉体の自由な操作と、敢為な気性のしなやかな表現とを、新しい「女性美」の目標の中に含ませることであります。つまり、女性的魅力の表に、凜然たるところを必ず附け加へることです。
「しをらしさ」とは、平生の風貌や言動のなかにそれがあるといふよりも、相手があつてはじめて表面に現れる性質のもので、これは云ふまでもなく、謙虚と従順とを示す女性的表情ですが、真に尊敬に値する相手の前ではおのづから、すべての女性がさうなるといふ風なものだと信じます。
 それに反して、「しとやか
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