」といふことは、これは相手に示すといふよりも、女性が自らの「矜り」として身につけるべき一種の威儀に外ならぬと思ひます。「しとやかさ」も、昔と今とでは可なりその性質が変つて来なければならないのですが、要するに、こゝにも、女性的に表現された「武」の精神がはつきりと感じられなければなりません。たゞ、「なよなよ」としてゐることではなく、油断をみせぬ厳然とした態度が、おのづから、落ちつきと、巧まない作法となつて女の品位を高めることになるのであります。
「貞節」といふことも、女の凜々しい一面を発揮したものです。それが日常の言動に如何に現れるかといふことは、また、「女の嗜み」の一つの大きな課題であります。殊に、異性との応対に於て、それが目立つて来るのですが、相手の男が何者であるかをよく弁へた応接は、女の「嗜み」をよく現し、男たちを前にしての一言一動によつて、その女性の「貞節」の程度を知り得ると云つても過言ではありません。
これはなにも、かの封建時代の女大学式婦道をそのまゝ認めることではありません。
徳川時代の社会制度と、仏教乃至儒教の影響を受けた女性観には、多分の非日本的性格と家族制度の末期的現象を反映した一種の偏見がみられます。女性を汚れあるものとし、或は、度し難いものとする傾向の如きは、まつたくそこから来てゐます。女三従説、即ち、家に在つては親に従ひ、嫁しては夫に従ひ、夫死しては子に従ふといふ教へですが、これも、支那流の男尊女卑と関係なく、真に日本的な「家」の精神から理解しなければ、甚だしい時代錯誤に陥ります。
事実、男尊女卑は日本の思想ではなく、夫唱婦和の妙諦は、夫の責任と妻の信頼とから生れるものであることを、日本の男と女ほど、よくこれを知るものはないのです。
服従が若し日本の女性の美徳であるとすれば、その服従は、男に委せるべきものを委せきる果断と、没我の勇気から来るものであると信じます。それゆゑ、女の服従は、男の決意をいやが上にも固めさせ、行為の責任を益々自覚せしめる力となるのであります。
嘗てフランスの詩人、ジャン・コクトオが、接客の儀礼を鮮やかに身につけた日本婦人の多くをみて、これを「奉仕の女王」と呼びましたが、男に奉仕するが如く見えて、実は、男に尊敬の念を喚起させる、あの「しとやかさ」と作法の技術的錬磨のなかに、威厳、鷹揚さ、気品、といふやうなものを外
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