な」ものはないからであります。「不嗜み」とは、「嗜み」の反対で、どういふ点からみても、日本人の矜りを傷つけ、日本人の力を削ぎ、日本の理想に遠いものだからであります。
 残念なことに、現代の日本人の生活は、ごく少数の例外を除いて、有形無形の別はありますけれども、実にこの「不嗜み」なもので満たされてゐます。
 それでは、この「醜い装飾」とはどんなものを指すのか。それをいちいちこゝで数へあげることはできません。また、実際にあたつて判断を下さなければわからないものもあります。それはともかく、「装飾」である以上、それを求めた当人は、きつと「美しい」と思つてゐるに違ひない。そこが面倒なところであります。けれども、これは見る人が見ればすぐにわかるのでありますから、その気になれば解決は容易であります。
 それから、「節度」といふものを固く守ることであります。これも、日本人の「嗜み」のひとつでありますが、例へば、食ひ過ぎ、飲み過ぎ、遣ひすぎ、いづれも、「不嗜み」である。といふのは、簡単に云へば、「だらしがない」といふことで、たゞ単に、物質的な不経済を意味するだけではなく、人間の品位を下げることになり、その上、例の「もつたいない」といふ神慮にもとる行為とみなされるのであります。
 節度を失つた人間が、節度ある生活に立ち戻ることは容易な業ではありません。しかし、そこが、自分を鍛へ直し、真の日本人のすがたにかへる肝腎な道でありまして、この時代に生き、この時代を支へるわれわれの、矜りを以て貫かなければならぬ、光栄ある任務だと信じます。

 家庭生活、日常生活の改善については、現に各方面でいろいろ研究もされてをり、参考になる書物もたくさん出てをります。
 しかし、日本人の嗜みといふ立場から、序でに少しこの問題に触れてみたいと思ひます。
 そもそも「家庭」といふ言葉は――どうもすぐに言葉の詮議になりますが、これはやはり現代の日本語が乱れてゐるからで、一応厳密な意味をきめてかゝらないと、誤解が生じ易いのです――「家庭」といふ言葉は、西洋の、殊に英語の「ホーム」といふ言葉から来たのではないかと思ひますが、それだけに、どこか西洋臭いところが残つてゐて、日本風の家族の概念といくぶん喰ひ違つたところがあるやうです。しかし、事実、日本の家族そのものの概念、実質が、現在では時代と共に遷り変つて来てをります。従
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