の働きは、もともと、われわれの祖先が、あらゆる修業の道において、その本質を究め、精神をつかみ、練りに練つて、生なきものに生命を吹きこむ、あの「道を悟る」といふ悟道、精根の限りを尽すあの「精進」の力に外ならぬのであります。

 目下、国民運動として、あらゆる方面から、官民一体の国力増強の策が講ぜられてをります。
 まづ生産拡充であります。工場、農村、鉱山等のいはゆる産業戦士に向つて、日々激励の言葉が放たれ、国民全体も亦、その労に酬いる用意をしてゐるのでありますが、この問題を解決する根本は、なんと云つても、能率をあげるための技術の向上と、技術の力を最高度に、しかも永続的に発揮し得る逞しい精力、即ち精神的肉体的の健康と、特にその精力の泉源とも云ふべき希望と光明に満ちた生活のしかた、即ち、秩序と潤ひある日常生活の確立であります。
 以上の要素は、なにかといふと、工場や農村で働く人たちが、それぞれの「道」を体得し、自らの「矜り」として、その人にふさはしい一切の「嗜み」を身につければよいのです。
 次には、物資の活用、消費の節約、貯蓄の増額であります。
 これもまた、一言にして云へば、質素勤倹でありますから、われわれの祖先、特に華美と贅沢とを排し、剛健質実な家風をうち樹てた武家や町家の、特に農家の伝統的な生活のしぶりをこゝで振り返つてみる必要があります。それは厳粛なまでにつゝましく、美しいほどに無駄のない生活です。単純素朴の立派さ、それは、その単純が磨かれたものであり、素朴が鍛へに鍛へられたものだからです。
 この厳粛さと美しさがあつてこそ、つゝましさも、無駄のなさも、それは人間生活と云へるのでありまして、そこには、「家」の矜り、名誉が厳然としてあり、その「矜り」が、一家の「嗜み」となつて現れてゐることに注意すべきであります。
 かういふ家風は、むろん一朝一夕に成るものではありません。しかし、日本人の生活はこれでなければならないのです。

[#7字下げ]八[#「八」は中見出し]

 では、今日のわれわれの家庭に於て、どういふ点が第一に改められなければならないかといふことです。
 それをはつきり云ひますと、迂遠なやうですが、一家のものがほんたうに気持をあはせて、家のなかから一切の「醜い装飾」を棄て去るといふことでせう。
 故らに、私は、「醜い装飾」と云ひました。これくらゐ「不嗜み
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