事実でもありました。家庭と学校の大部分は、子弟の欲するものを与へ得ず、特に、何を欲せしむべきか知りません。雑誌の氾濫は一にその結果であり、活字は活字の力で、人間の精神と生活を支配しようとしました。
教養は新しい「たしなみ」でなければならなかつたのです。さう理解はしながら、なほかつ、修行の方法と場所をもたなかつた近代日本の社会は、あらゆる方面で、かくあるべき日本人の姿を見失はせました。典型の喪失、消滅は、男女性を通じて、青年の最大の不幸でありました。
さて、かういふやうに、「嗜み」といふことは、心と形、肚《はら》と技《わざ》、言ひ換へれば、精神と外貌、或は技術を、常に一体として考へるところに、日本的な人間錬成の真面目が示されてゐると思ひます。
そればかりでなく、「嗜み」の最も重要な本質は、道徳と知識と情操とが、まつたく不可分の関係で織り込まれ、知情意の最も調和したかたちを、その標準として教へ、心身一如の訓練による生活の技術的体得を目的としてゐたといふことであります。今の言葉で云へば、「文化的教養」そのものであつて、これがまた、頗る日本的な、いはゆる綜合の妙味を発揮した物の見方、考へ方だと思ひます。
「嗜み」といふ言葉の含蓄の深さはこゝからも来るのです。それと同時に、この言葉の重み、鋭さ、いづれも、日本人が、長い歴史を通じて、真に「嗜み」を尊重し、「嗜み」に生きてゐたからでありまして、今日この言葉が、既にその内容と共に忘れられようとしてゐることは、日本のために、まことに悲しむべきことです。
そして、この「嗜み」こそは、現代の生活のなかにこれを活かせば、もうそれで立派な日本の文化であり、日本の力であり、日本の矜りなのであります。
[#7字下げ]七[#「七」は中見出し]
さて、それならば、現代の日本人、特に、この未曾有の大試煉の前に立つた日本人として、如何なる「嗜み」を身につけなければならぬかといふ問題です。
これをもつと端的に云へば、われわれ日本人は、この重大な戦ひを見事に勝ち抜くために、どんな「嗜み」が必要かであります。
私どもは、まづこれを祖先の道に学ばうと思ひます。なぜなら、われわれ日本人を、生み、育て、力づけるものは、やはり、この国土と歴史をはなれてはないのであります。
世界の知識と云ひ、外国の長所と云ひ、これを採入れ、消化し、役立たせた、そ
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