要なすべてのものの母ではないといふことを誰も云ひませんでした。それを悟らなかつたのは、必ずしも青年の罪ではありませんが、悟ることの遅きを悔いてゐるのはわれわれであります。
 魂の漂泊とはなんでありませう。「国土なき民」であり、「根こぎにされた草木」であり、「家なき子」であります。たしかに寂寥そのものです。「憂欝」の種がこゝにもあるとすれば、それは、日本人には縁なき「憂欝」だと云はなければなりません。
「孤独な魂」とは、なるほど、文学的表現としては一応意味があります。しかし、真に「孤独な魂」は、決して憂欝を面《おもて》に出しはしません。それはまた、寂しさを知らぬ、強靭にして豊かな精神を指すからであります。
 要するに、「近代の憂欝」が、まだわが国のそここゝに残つてゐるといふ気配が私には感じられるのです。たしかに残つてゐる筈です。これを一掃しなければ、わが国の発展の障碍となることは明らかです。先づ、自我中心の思想と、科学万能の迷信を打破しなければなりません。次に、功利主義に基づく教育の殻を脱し、日本的政治の復興に堂々と協力することです。
 いはゆる専門学校以上を卒へ、精神的労働を目指す現在
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