手段においてであります。多くは大それた、身勝手な欲望であるにも拘らず、青年のそれは、「夢」の性質を帯びて屡々純化され、或は「抱負」となり、「志」とさへなります。
「志」といふ言葉はもはや「野心」とか「抱負」といふ言葉とはつきり区別して用ひなければなりません。なぜなら、それは飽くまでも、自分本位の「夢」ではなく、「現実」の条件を基礎としながら、信念による自己の力の限りない発展を予想し、一切の障碍を越えたところに、絶対の目標をおくものだからです。
「志」はまたかの「志望」などといふ言葉の概念ともおよそかけ離れたもので、ずつと厳粛で悲壮な響きをもち、早く云へば、天下国家のため身命を賭して奮ひ立つ至誠と情熱であります。「志を抱く」とは、今日まで普通に理解されてゐたやうに、単にある目的を目指して勉強するぐらゐのことではなくて、国を思ふ止むに止まれぬ気持から、自分の信念に従つて、困難とも思はれる道へ踏み出す決意を固めることであります。
従つて、幕末のやうな時代に於ては、「尊皇攘夷」こそが、日本人の日本人たる「志」であり、そのために身を挺した人々を「志士」と呼ぶのです。
然しながら、今日に於て
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