の関心をもたれることを熱望する心の動きであります。
ところで、かゝる異性の「美」は、おほかたは客観的に在るものではなくて、常に、なんとなく心を惹かれる相手のうちに、自分の主観が創り出し、拡大していくものだとする説もあるくらゐで、かうなると、恋愛といふものは、一種の自己陶酔を意味することになります。恋愛は熱病なりと断じた一作家の言葉も、あながち極端だとは云へなくなるのです。
しかしながら、自己陶酔にせよ、熱病にせよ、人間一人の生涯に於て、それが如何なる役割を果すかといふことに問題は帰するのですから、恋愛をたゞ単に軽々しく扱ひ、または、恋愛のために一切を犠牲にするといふやうな態度は、深く戒めなければなりますまい。
そこで、私が先づ云ひたいことは、少年期を終つて将に青年期に入らうとする頃から、異性に対してわけもなく面映ゆいやうな気持を意識するやうになる、いはゆる「思春期」についてであります。
この時期は、青年にとつて最も危険な時期とも云へるのですが、それと云ふのも、この間に、「異性を観る眼」が養はれ、将来、どんな形にせよ、異性との交渉をもつ場合の、大切な「嗜み」が身につくか、つかぬか
前へ
次へ
全40ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング