(それにかまはず)「が、そこに佇《たゝず》むものとては他《ほか》にないから、男ごころをときめかす香りも、伊太郎以外には、たゞ徒《いたづ》らに暗きにたゞよひ、吹き消されるばかり」
詩人 ちよつと、しづかに……。
夫 (暫らく黙読を続けてゐたが、次第に大きな声を立て)……「女はこらへかねて、もしと低くいつて、涙にむせんだ。春ではあるが、月は今夜のやうに冴え返り……」
詩人 わざと邪魔をするんですね。
夫 女に詩なんか読ましたつて、しやうがないですよ。お前も亦わかるやうな風をするから、先生、益々……。
詩人 益々どうしたんです。第一、そいつはエヘンだ。
夫 なにがエヘンです。
詩人 エヘンでせう。あなた方二人のどつちかゞ規約を破つた場合には、僕が「エヘン」といふことになつてる。今のはあきらかに、あなたの規約違反です。「夫婦は、双方の自由意志または家政一般の問題に関し、如何なる場合といへども、助力、干渉、命令、相談、註文等をなさゞること」
夫 いまのは、そのうちのどれに該当しますか?
詩人 干渉、命令、註文の三つも含みます。
夫 むしろ、助力だと思ひます。
妻 賛成!
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