事実、欧洲の演劇が、その先駆的精神のみにもせよ、期せずして、「演劇の再演劇化」に一つの合言葉を発見したのは、あらゆる範囲、あらゆる程度の革新運動が、常に、「演劇的ならざるもの」を舞台上に横行せしめる結果となり、演劇それ自身の美は、何物かの背後にかくされて、いはば、主客顛倒の有様を現出したからであつて、殊に、わが国のやうに新劇の発生動機が、全く独特な事情と結びついてゐる場合、この危険は初めから目に見えてゐたのである。
 即ち、わが国の新劇は、云ふまでもなく、時代の文学的欲求から生れたものである。その指導者は勢ひ主として文学者乃至外国劇の紹介者、稀に、文学の重荷を負はされた職業俳優であつた。そして最後に、やや演出専門とも称すべき劇場芸術家の参加を見たが、舞台はその時代から濃厚な思想的色彩に塗り上げられた。
 かういふ次第であるから、演劇は絶えず、演劇本来の姿を見失つて、何者かの手段となるにすぎず、その生命は自然の成長を阻まれてゐたのである。勿論、この間に、欧羅巴流の新演劇論を鵜呑みにして、表面、「演劇より文学を排除せよ」と叫んだ人たちの名も浮ぶのであるが、さういふ人たちの一様に陥つた過失
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