は、その「文学」に代るものを発見し得なかつたことだ。少くとも、それを舞台の上に示すために必要な努力を払はなかつたことだ。
 わが国の新劇は、今日まで、凡そ理論といふ理論を潜り抜けて来た。そして、遂に行きづまつた。罪は、世界的不況にあるのでもなく、「問屋の種切れ」にあるのでもない。要するに、演劇の本質に対し、あまりに無関心であり、あまりに、認識を欠いてゐたからだ。

       二

 私は、コポオの所謂、「演劇の本質は、古今の偉大なる劇的作品の中にこれを発見すべし」と云つた言葉の真意について考へたい。彼は現代欧洲劇壇の先覚者中、「文学」に最も近くその位置を占めてゐる人物であるが、彼の業績は、それにも拘はらず、「演劇の再演劇化」に向つて、最も大きな歩みを歩んだものと私は信じてゐる。
 これを、私の見解に照せば、彼は、演劇精神の伝統を現代に活かす以外、如何なる手段も、如何なる材料も、今日の舞台に生命を与へることができないことに気づいた一人であつて、衒学的軽業師の尊大な新理論よりも、各時代の要求に応じて生れ、それぞれの時代の舞台的革新に役立つた不朽の劇的作品を信じ、古典はそれ自身として現代
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