純粋演劇の問題
――わが新劇壇に寄す――
岸田國士
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)幻象《イメエジ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)素人劇[#「素人劇」に傍点]が
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一
あらゆる芸術の部門を通じて演劇の理論といふものは、特にこれを実際に「試み」る機会が少く、従つて、その理論に確乎たる根柢を築くのに容易でない事情にある。
所謂「近代劇運動」の史的考察が、この意味で絶えずその中心を見失はれようとする傾きがあることも、われわれは既に気づいてゐるのである。
十九世紀後半に於ける諸芸術の「純化運動」に、演劇も後れ馳せながら参加した事実は、世人も等しく認めてゐることと思ふが、この「手入れ」は、演劇といふ庭に限り、それがあまりに荒れ果ててゐたためと、また、あまりに木石の類が多すぎたために、ほかの庭よりもずつと遅れてしまつた観があり、漸く一と通りの草むしりを終つた程度で、早くも、職人たちは仕事を投げ出してしまつた。
詩、小説は固より、造形美術、音楽、舞踊、さては、まだ生れて幾らにもならぬ映画の方面でさへ、あら
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