うぞこちらへ」と私を二階の一室に案内した。
 部隊長小川伊佐雄氏は、私がはるばるこの土地へ来たことを心から悦んでくれた。新聞記者も慰問団もなにも来たことはないといふ話であつた。
 こゝばかりではない、さういふところも随分あるであらう。しかし、私は運が好かつたのである。誰でもかううまく此処へ辿りつけるわけではない。
「鎮江から河を渡つて来るといふことは、よほど臆劫なことゝみえますな」
「それはさうかも知れませんね。詳しく様子を聞いたうへでなければ、ちよつと決心がつきますまい」
「いや、揚子江の北はまだ危いといふことになつてゐますから……」
「匪賊は相当にをりませうな」
「何れ詳しくお話をします。が今も実は、部下を集めて会議をしてゐたんですが、近々、やゝ大仕掛けな討伐をやらうと思つてゐます。情報も可なりあがつてゐますし、もういい時分だと思ひますから……」
 部隊長は隣室に集つてゐる部下の将校たちをこの席へ呼び寄せ、私に紹介した。
 討伐の計画は極秘のうちに進められるに拘はらず、何時の間にか敵に知れてしまふらしい。スパイ網がかくの如く張られてゐるとは想像もつかないくらゐである。もちろん、その
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