部分支那人で、わづか四五名の日本人が軽装で大きな郵便物の袋を提げて乗込んでゐた。
引率者たる主計○尉が、話をしてみると、やはり○○警備隊へ帰るのだといふ。ところで、こゝでもまた、それらの兵士の一人から、私は「先生」と呼びかけられ、それが明大文芸科で教へた生徒であつたのは意外でもあり、うれしくもあつた。かういふ時の道づれは有りがたいものだ。匪賊討伐の話、楊州の街の様子、米国教会の日曜学校で反日宣伝をした事実など聴く。
船は四十分で対岸に着く。こゝから楊州行のバスが出る。一台きりのバスといふのが、世にも憐れなしろもので、ほんとに動き出すのかと気が気でないほどであつた。しかも、船から降りた客がみんな一度に来るのだから、たちまち超満員で、窓の外へぶらさがるもの、エンヂンの蓋の上へ腰かけるものなどがあり、それでも兵士たちは起ちあがつて老人に席を譲るといふ床しさをみせてゐた。
沿道の耕地は洪水のため殆ど水浸しであつた。盥に乗つて稲の穂を刈つてゐる農民の姿がみえる。なるほど、楊州の名はこゝから来たのかと思はれるほど、楊柳が多い。そして、今までにみた中支のどの部分とも違つてゐることは、普通の恰好
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