の大熊が部隊長で頑張つてゐるといふ話なので、早速二人で訪ねて行つてみると、暫く見ぬ大熊は、これがと思ふほど変つてゐて、お互に年月の距りを痛感した。
「これが蒋介石のゐた部屋だぜ」
と、山崎が私に説明すると、
「いや、どうも宋美齢の方らしいんだ」
謹厳な大熊はさう云つて笑つた。
こゝで、私は二人の話を交々聴き、それぞれの部下が駐屯してゐる小警備地区の状況を詳しく知ることができた。そして、是非とも楊州に行かうと決心したのである。
その晩は山崎部隊長の宿舎で夕食のご馳走になり、長々と昔話をし、最近留守宅から届いたといふ甘味の数々を私も遠慮なく味はつた。
翌朝、九時四十五分、南京発上海行の急行に乗る。
一昨日宿でちよつと話をした三田文学派遣の従軍記者池田みち子女史が、誰かを送つて来た序に私も送つてくれる。私が楊州といふところへ行くのだといふと、自分も行つてみたいと云ふ。あとからおいでなさい、道はかうかうと教へておいたが、妙齢の女性の一人旅は無理にきまつてゐる。
向ひ側の席についた一青年将校は、私たちの話を耳に挟んだものと見え、
「楊州へ行かれますか。自分は○○地区警備隊のもので
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