すべく準備されてゐる筈である。
楊州地区は誠にこの問題について語るために誂へ向きの一例であると信じるから、私は今度の中支旅行の印象を誌すにあたつて、この地に於ける滞留十日の記録に重点をおくことにする。
が、先づ順序として、足を上海におろしたところから始めよう。
旅客機が博多から上海までを約三時間で運んでくれるといふことは、今日の航空知識をもつてゐるものなら誰でも想像がつくだらう。想像はつくが、実際さうであることを実験したら、誰でもちよつと驚き、うれしくなり、自分の手柄でゞもあるやうな錯覚をおこす。
この種の錯覚に似たものが、若し私のこれからの記述のなかに現はれたとしたら、それは、私が日本人として生れたことの罪であるから許していたゞきたい。
上海は、この地に働くある種の女たちに云はせると、長崎県上海市ださうだから、私など二十年前に、悲壮な気分で、天涯の孤客然と船をおりた記憶を恥ぢねばならぬ。
さて、着陸場には軍報道部の馬淵中佐をはじめ、中山省三郎、火野葦平両氏、義弟の延原謙などの顔が見えた。延原の勤務してゐる同仁会の診療班長、瀬尾博士にも敬意を表することができた。廟行鎮、大
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