・インテリ婦人の典型をそこに見出して私は思はず微笑した。
「なかなか結構な思ひつきです」
その先生は、事変がおさまつたら、一度日本へ行つてみたいとも云つた。
産科の病院は、ドクトルが留守で、細君が応接間へわれわれを通した。賀川豊彦氏の著書などが卓子の上に出してあつた。
病室は殆ど空いてゐた。支那人の看護婦が治療室の隅にかたまつて、ひそひそ話をしてゐた。いくつかの医局の扉に、ローマ字で支那人の名前を書いた札が貼つてある。支那人の医者が主任をしてゐるのかと思つたら、それはみなそれぞれの医局を寄附した支那人の名前であることがわかつた。医局を寄附するといふのはちよつと私には耳新しい方法で、さういふ慈善家を支那に作りだしたのは、たしかにアメリカ式文化宣伝の結果に違ひないのである。
男の宣教師が一人そこへ訪ねて来て、「奥さん、ちよつと」と夫人を戸の外へ呼び出した。フロックコートを着て前屈みに歩くところ、不確な視線で揉み手をする恰好など、職業的なある型にはまつてゐた。これが、先日名前を聞いた親日米人であつた。
甘棠湖に沿つた小高い丘は、紀念堂林園といふ公園になつてゐる。丘の頂上に、国民革命
前へ
次へ
全159ページ中46ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング