いふのであらう。かゝる施設が外国人の手によつてなされてゐるといふ事実は、日本内地でさへその例が多々あるのであつて、今更驚くべきことでもないが、それよりも寧ろ、彼等の、この支那大陸に於けるひとつの「生き方」について、私は日本人全体の注意を喚起したいと思ふ。
女学校は、その建物と云ひ、庭園と云ひ、まことに西洋的な生活の快適さを示すものであり、文化人の趣味と実力を誇るが如く瀟洒たる一廓を形づくつてゐる。中年の女教師が二人われわれを導いて校舎と住宅を見せてくれる。生徒の姿がちらちら廊下や教室の戸口に現はれるが、すぐに引つ込んでしまふ。先生の一人は、庭の小径を歩きながら、私に云ふ。
「生徒は日本軍がこの土地へはひつて来て以来、しばらくは怖がつて落ちつきがありませんでしたが、近頃では大分慣れて来た様子です」
「父兄はみな九江にゐるのか」
といふ私の問ひに、
「みなではない。なかには、子供をおいて漢口へ行つたものもある」
と答へた。それから、庭の一隅の竹藪が空へ伸びて、支那寺院の塔の遠望と面白い調和を見せてゐるのを指さし、
「こゝへわざわざ竹を植ゑさせてみたのですが、どうでせう?」
アメリカ
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