自分一人のことをこんなにくどくどと書いたのは、別に読者の同情を乞ふつもりではなく、戦場での歯痛はかくの如く異常なものであり、その原因についていろいろ考へるところがあつたからである。
 道ばたへ腰をおろしてゐると、向ふから武装した三人の兵隊がいくぶん足を曳きずるやうにして歩いて来た。落伍兵かなと思つてゐると、そのうちの一人が、不意に、「先生」と叫んで私のそばへ駈け寄つて来た。
「明大文芸科の卒業生浅見であります。負傷して病院へはひつてをりましたが、やつとなほつて、これからまた前線の原隊へ帰るところです。先生はお元気ですか」
 さう云はれゝばさうにちがひない。私は思はず胸をつまらせ、
「さうか、こんなところにゐたのか。怪我はどこだ」
「胸であります」
「大丈夫か?」
「はあ」
 と云つて、彼は背嚢をゆすりあげた。
 これからどこまで歩いて行くのか? 汗と埃にまみれたこの青年の姿を私は忘れることはできない。
「しつかりやつてくれ」
 心からの感謝をこめて、私は、たゞ一と言激励の言葉を与へた。
 痛みはどうやら鎮まつたが、全身の疲労甚だしく、今日是非前へ出なければならぬといふわけでもなかつたの
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