が事変をよそに講義を聴いてゐた。司祭はもう五十年も支那にゐるといふ老人で、あのフランス人によくみる皮肉な顔附と、殊に、例のこだわりのないカトリック的自由さとが、私をははん[#「ははん」に傍点]とうなづかせた。
「世界中で支那は最も貧民の多い国だ。支那の農夫たちがどんな生活をしてゐるか、君は知つてゐるか? 彼等は、あらゆる天災の犠牲者だ」
広いホールの真ん中で、彼は私とほかに四五名の職員――なかに支那人の姿も見えた――を前にして語るのである。
「戦争……何時の戦争もおなじことだ。われわれはどうすることもできない。たゞ、日本と支那との関係を考へてみよう。自分が今日まで支那で過した経験から云へば、嘗て日露戦争後の一時、支那の上下をあげて日本贔屓であらうとした。日本でなければ夜が明けぬといふ状態になりはせぬかと思つた。その頃誰が今日あることを想像し得よう。欧米人が日本人と異なることを支那に於て行つたとすれば、それはかうだ。欧米人は金を少し余計に出した。しかも、それは資本を支那人の手に委ねて、その利益の幾分を要求するといふ仕方であつた。日本人は金を出し惜んだ。しかも、君達は自分で儲けてその分け
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