であるのみならず、支那の民族と歴史、その生活力と文化の象徴であるといふことに気がつくのである。
河幅は広いところと狭いところとあるが、九江までは、概して両岸の展望が利き、楊柳の木蔭に水牛の群れ遊ぶ様や、人家の周囲に銃眼を穿つた陣地が築かれてゐるのが見える程度である。しかし、その河幅いつぱいに、粘土色の水がひたひたとあふれ、流れと見えぬ深さで大地を逼ひ、澎湃として空を空につなぐこの超年代的なすがたを、日本のすべての人は想像もし得ないであらう。
その日の夕方、蕪湖に碇泊、上陸して市街を一巡する。先づ眼についたのは、あちこちの小高い丘の上に建てられた瀟洒な西洋館で、何れも屋上にフランスやアメリカの国旗が翻つてゐる。病院と学校である。
九江では煙草が払底だと聞いて、こゝで、ルビイクインの幾箱かを買溜めする。
夜、船の食堂で、漢口よりの日本語放送を聴く。やゝ中国訛りのある若い女の声で、はつきり支那側の宣伝ニュースを読みあげるのだが、ニュースの内容よりも、放送者の心理の方に興味が惹かれ、人間の生き方について、あり得べきあらゆる場合を考へさせられた。
翌朝、蕪湖をたつ。
午後一時五十分、
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