ついて、私には私の流儀があり、同時に、将来、われわれが支那及支那人に対する根本的態度がどうありたいかといふ希望が生れて来ないわけにいかないのである。
 日支親善といふことが云はれてゐる。これは決して外交辞令的な、政治臭を帯びたスローガンであつてはならぬと思ふ。単に両国の利害問題を基礎として、その関係を道徳的な名義に塗りかるだけのことなら、国民全体がそれほど一生懸命にならなくても、若干の基本的条件がそろへば結果は期せずしてそこに趨くのである。しかし、われわれが理解するところでは、今度の事変は日支両国民の真の提携、真の協力なくしては、その収拾の方法さへなく、平和建設の大事業を円滑に進めることが甚だ困難なのである。まして、今後永久に亙つて、再びかゝる災禍を繰り返さない為には、お互に余程の覚悟と反省が必要である。
 これを理論上から、日支、或は日満支の協同主義を唱へることは、一面に於てむろん必要でもあり、その効果は期待できないことはないけれども、それ以上に、国民と国民との感情的融和を計り、誤解から生ずる相互侮蔑の念を一掃することは、今日、両国の識者が何れも冀求するところである。
 しかしながら
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